繊細ビート...前編
ソルト・ヴァルヴァレスにとって、“今”はとんでもなく―――数年前の自分にとって見れば、ありえないくらい幸せだ。たった一人で穢れ続けながら孤独を味わうことなく、仲間たちと共に過ごせるなんて、数年前ではありえなかった。
だが今の自分にとっては―――この最高すぎる幸せを自ら壊してしまいそうで、それがとてつもなく恐ろしくて、どこか一歩退いてしまう自分が憎くて―――たまらなかった。
それはやはりソルトのもともとの性格がそうだからでもあり、また数年前の孤独がそう感じさせているのである。
そう、今から語るのは、ソルト・ヴァルヴァレスの6歳から始まり今に続く物語。
この世界には、表の世界と裏の世界がある、とソルトは思っていた。表の世界―――表社会では、絶望を知らない世界が広がっている。裏の世界―――裏社会は、絶望に塗れた世界だ、と。だが表社会だろうが裏社会だろうが、どこにでも絶望は侵蝕していて、そして表社会だろうが裏社会だろうが、絶望に染まらず生きていけることが出来るということを、この頃のソルトはまだ理解していなかった。
6歳という幼きソルト少年は、この年にして“完璧な”絶望を味わっていた。この上なく甘美なまでの絶望を、知り得ていたのだ。
ソルトの家、ヴァルヴァレス家は、それなりに由緒ある家柄だった。また、裏社会に通じていて、暗殺業も少々―――否、かなり嗜んでいる家でもあった。
ソルトの母はヴァルヴァレス当主の妹で、父は亜米利加人と中国人の混血だった。ヴァルヴァレスは仏蘭西人であるから、ソルトも父と同じく混血児となってしまった。
先程述べたとおり、ヴァルヴァレスはそれなりに由緒ある家であったために―――混血児であったソルトは、あまり良い思いをしなかった。表立って騒がれたことはなかったが、やはり少し疎まれる面があったのだ。つまりは、ソルトは正式にヴァルヴァレス家の人間とは認められず―――暗殺業のほうに、身を置かされたのである。
それが、ソルトの6歳の頃の記憶。父は亡くなっており、母はソルトと逢うことを許されず、ソルトはただ一人孤独を、絶望を味わった。幼い自分の身体が血に穢れていくのを、じっと見つめて、また、穢していく。自らの手で、自らの意思がないままに。
ソルトは、ヴァルヴァレス家が関与している、戦闘員育成用軍事機関“メタトロン”に無理矢理配属され、一人で殺しを行う日々を過ごしていた。今では、“メタトロン”の幹部にまで上り詰め、たくさんの仲間と共に楽しい日々を送っているが、あの頃はそうではなかった。
そんなソルトの姿を見て、“メタトロン”の中央庁特別管理委員会委員長を務めている、ソルトの従兄であるセシル・ヴァルヴァレスはいつも思っていた。どうして俺が当主ではなかったのだろうか、と。自分が当主であったならば、ソルトをなんなく受け入れ、こんな幼い背中にヴァルヴァレスの全ての絶望を背負わせたりはしないのに。
だが―――セシルには何も出来なかった。セシルは当主ではなかったし―――セシルの父こそが、ヴァルヴァレス家の当主であったから。だから、セシルには何一つ、出来なかった。
「ソルト、」
一度だけ、仄かな願いをこめて。セシルはソルトに言った。
「ヴァルヴァレスから逃げてしまえば良い。新しい仲間を作れば良い」
セシルは今でも覚えている。あのときソルトが答えた言葉を、一字一句間違えることなく、ちゃんと覚えている。
「俺にそんなことは出来ないし、したくない」
「っ・・・どうして、」
「新しい仲間が出来たとして、そしたら俺はどうすればいい? 血が染み付いて穢れきったこの手で、この身体で、大切な人を守りたくない」
ソルトばかりが穢れているわけではなかったのに。だというのにどうして、そんなにも自分が穢れていると言うのかと、セシルはそう思った。
だが、それは仕方の無いことだった。混血児で、ヴァルヴァレスでは忌み嫌われ、その上ヴァルヴァレス自身が一歩引いてしまう暗殺業に身を置き、戦闘員育成用軍事機関に配属して、血に塗れたソルト・ヴァルヴァレスという人間は、ソルト自身にとって最も穢れた存在でしかなかったのだ。自分が自分に触れることも恐ろしく思うくらいに。
「だからこのままでいいんだ」
当時7歳ももう終わりを迎えていたソルトは、そう言ったのだった。
黒いわだかまり。いつからこんな汚らわしいものが自分の中に生まれたのだろう、と12歳のソルトは思った。気持ち悪い、吐きそうだ、と。
その黒いわだかまりは、よく見れば紅いものも混じっている。ああ、これは血だ。しかも、返り血だ。自分が殺してきた人々の血が、こんなにも染み付いてしまったのだ。
自覚はあった。だけど、こんな感覚に陥るほどにまでなってしまったなんて。
(・・・誰にも触れてはならない)
何もお前にやってやれない、と嘆いていたセシルにも、幽閉されて今はどうなったのかさえ知りえない母にも、いずれもしかすると自分にも出来るかもしれない、大切な人にも―――自分は、触れることが出来ない。否、触れてはならない。
だが、ソルトは恨んではいなかった。ヴァルヴァレス家も、セシルの父もセシルも、自分の父も母も、恨んでなどいなかった。だけど、ほんの少し―――ヴァルヴァレス家とセシルの父が嫌い。自分の父が、母が、遠く感じる。セシルが羨ましい。そして何より―――自分が疎ましい。混血児だからといって、ソルトが胸を張って生きればヴァルヴァレス家の意見も変わってくれるに違いないのに、自分はそれすらも出来ないのだ。ただただ、自分が汚らわしく疎ましい。
(殺しをやっている人間の中で、俺が一番汚らわしい)
自分が、とてもとても―――大嫌い、だった。
*
漆黒に広がるわだかまりはさらに広がり、ソルトを蝕む。穢れていく、芯から芯まで。ソルトの優しさが仇となって、それはどんどんどんどん加速して、覆い尽くす。
その漆黒に、一筋の光が差し込んだのは―――ソルトが16歳のときだった。
後編に続く...
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