《入場者(アンリミテッド)》。全ての場所に入り込むことの出来る、生まれながらの“入場者”。どんなところにでも、絶対に入ることが出来る。開かずの間にも、人の心にも、閉ざされた心の扉にも、存在しない空間にも―――《異世界(パラレルワールド)》へと続く扉にも。
パラレルワールドは無数に存在する。それらは大樹のように枝分かれしていて、その幹に値するのが“夢”だ。
“夢”への扉に無断で入場することの出来る存在が、《入場者》だ。《入場者》は“夢”へ入って様々なパラレルワールドに行き来し、世界を渡る。
そしてその《入場者》が―――・・・“葵”。青紫を纏い世界を巡る・・・唯一の、少年。
*
自室で、葵はぼんやりと窓の外を眺めていた。
月が蒼い―――月夜、月夜―――あの子の―――名前。
「葵さん、」
「っ!?」
扉の向こうから名を呼ばれて、思わず葵はびくりと肩を震わせた。自分の名前をさん付けで呼ぶのは、彼女しかいない。
「入って良いですか?」
「ああ、勿論だよ・・・ボス、」
かちゃり、と静かに扉が開き、柔らかい笑みを浮かべたボス―――蓮漣麗が、姿を現した。
「えっと・・・どうかした?」
何故だか麗を直視することが出来ず、葵はさりげなく眼を逸らしてそう言った。いつになく、強張った声が出てしまう。
「いえ・・・特にこれといったことではないのですが・・・・・・葵さんの様子がおかしい、と聞いたので・・・すみません」
ああ、そういうことか・・・と、葵は内心で納得した。昴かレンが、葵の様子がおかしいことに気付き麗に言ってみたのだろう。
(つくづく・・・優しい人たちだ)
どうして自分には、こうも優しい人が寄り付くのだろうかと―――あの子たちも、ほんとうに・・・優しかった。脆く果敢無い、あの子の姿が、脳裏に浮かぶ。
「大丈夫・・・ですか?」
麗が顔を覗き込んだのがわかって、葵は俯いて顔を逸らしたい衝動に駆られた。
お願いだから―――僕を見るな。思い出してしまう、あの子の・・・あの子の、ことを。
「・・・ごめん、麗」
麗がはっ、としたのが気配でわかった。
葵は普段、麗のことを「ボス」と呼ぶ。「麗」と呼ぶときは、本当に特別なとき―――何か、あるときだ。
「何か、あるんですね・・・? 葵さん、教えて下さい―――そんな、苦しげな表情、私は見たくありません・・・!」
―――苦しげな、表情。
(心配をかけさせちゃいけない。麗は何も悪くないんだ、麗には何も―――関係ないんだから)
「何でも、ないから・・・」
そう言った瞬間、麗の表情が曇り翳った。
(ああ、そんな顔をさせたいんじゃないのに―――麗には、笑っていて欲しいのに)
あの子にも―――笑っていて欲しかった。
「葵、さんは・・・」
ぽつり、と麗は呟くように言った。
「いつも、何も話してくれない―――全て、隠し通そうとして・・・。葵さんだけです、守護者の中で、私が過去のことを知らないのは」
過去。皆、辛い過去がある。だが、それを口にしないのは、僕だけ―――
(僕はいつでも“唯一の人間”だな)
自嘲するように、葵は薄い笑みを浮かべた。
「その笑みも表情も言葉も。仮面で隠しているみたいで、演技をしているみたいで、それがなんだか凄く―――怖い」
「―――麗・・・」
どうして、どうして。どうして、自分は、大切な人を―――想い、悲しませずにすることが出来ないのだろう。
「僕は―――」
僕は、大切な人を―――“見る”ことが、出来ない。
*
唯一の少年は、幾つもの世界を巡った。今ではもう、一つ前の世界ぐらいしか思い出すことが出来ない。
―――本来ならば。次の世界に来たら、一つ前の世界のことも、すっかり忘れてしまうのだけれど―――今回は、そうはならなかった。
『―――葵』
『月夜(つくよ)・・・』
もう一生、逢うことの出来ないあの子の名前。
何度忘れてしまいたいと思っただろう。否、そうじゃない―――自分のことを忘れて貰えたら良いのに―――“葵”という人間のことなど、綺麗さっぱり。
自分の半身に打ち勝ったあの子は、聖女になった。神々しくて、一点の穢れもなく―――ずっと、見続けていたいと、想い続けていたいと、そう願ったのに―――それは、叶わぬ夢となった。
唯一の少年には、明るすぎたのだ。あの子の光は、まるで月光のようで。脆く果敢無い、月の光のようで。
『月夜、僕は―――』
『君にはもう、逢えない』
―――唯一の少年が流した涙は、何も映しはしなかった。
...後編に続く
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