死体が転がっている。
多数ではない、少数だ。
一人、二人……四人。
その中心で一人、男がサーベルを鞘に戻した。
―――ソルト・ヴァルヴァレス。ヴェンタッリオファミリー幹部の一人、この四人を死体にした張本人。
「…………さて、」
「ひっ」
残りは、一人。
畏怖と怯えの顔をした血塗れの男が、琥珀色の瞳に映る。
「さぁ、吐いて貰おうか」
「う、あ……」
にこり、と。
有り得ないほど穏やかな笑みを浮かべて、ソルトがその男に近づく。
じりじりと迫られて、血塗れの男は情けない声を上げながら無様に後方へ這いつくばっていく。
「あああ…っ」
背中が壁に当たった感触がして、男はただただ首を振りながらソルトを見上げた。
―――瞬間。
キン、という音が、耳元で鳴り響いた。
「ひっ…!?」
首筋、そのすぐ真横。
サーベルの切っ先が、頸動脈の真横に突き刺さっていた。
しゃがんだソルトの顔が目の前にある。
「お前たちはどこの回し者だ? カルコラーレか? トマゾか? ジッリョネロか?」
怯えたまま答えない男に対し、更に笑みを深める。
「まぁ、そんな事はどうでもいい―――問題なのは、君たちが裏切り者かどうかだ」
この状況を見て、どう見ても裏切り者であると確信して他の四人を殺しているというのに、何故今更そんな事を聞くのだ―――と男は思ったが、そんな言葉はソルトの顔を見て消え去った。
「なぁ、君たちはヴェンタッリオを……麗を、裏切ったのか?」
「う、あ、ああ、ベッ、ベネディーレです!! お、れっ俺たちはっベネディーレファミリーのっ」
「―――麗を、裏切ったのなら」
悲鳴を上げる間もなく、男は自身の死を直観する。
「俺は君を殺してしまうかもしれない」
矛盾した言葉を聞く事も出来ぬまま、男は絶命した。
ソルトは静かに立ち上がり、サーベルを鞘に戻した。
だが、身に纏っていた殺気よりも怖気立つオーラは消えない。
彼の表情は、冷徹な表情でも、殺しを楽しんでいる顔でもない。怒りの表情でもない。
ただそれは、一貫した無表情。先程まで、彼らを殺していたときには全く違う―――その表情とは全く交差しない、真逆とも違う。ただただ、無表情だった。
薄明かりに照らされて、彼の姿がこの部屋に入った瞬間から何一つ変わっていない事に気付かされる。
歪みない足取り。無表情。そして、一切返り血を浴びてない服と肌―――。
部屋にも、血はほとんど残されていなかった。
数歩部屋から出たところで、ソルト・ヴァルヴァレスは携帯を取り出す。普段使っているものとは違う携帯だ。
「―――俺だ。いつもの通り。今回は五人」
その声にも、感情は一切込められていない。
「わかっているとは思うが―――そうだ。絶対にヴェンタッリオにはバレないようにしろ」
そう言って、電話を切る。相手はどうやら、死体を回収し始末する仕事を生業としている者だったようだ。
ソルト・ヴァルヴァレスは小さくため息を吐くと、ゆっくりと歩き出した。
―――帰る、ために。仲間のもとに帰るために。
―――戻る、ために。普段の自分に戻るために。
微かに、血の匂いがした気がした。
*
「今日は優樹さんの歓迎パーティを開きます!」
「おぉ~!」
「いやー、なんか悪いね。嬉しいけど」
ヴェンタッリオファミリーの屋敷。
その一室に、ヴェンタッリオのボスと幹部―――そして新たに幹部の一員となった、神室優樹がいた。
「じゃあ、早速部屋の飾りつけだね!」
「はい、お願いします」
ボスである少女、蓮漣麗に微笑まれ、桐城昴が準備をするために部屋を出ていく。それに続いて、レン・ウェルヴァーナも出て行った。
「私もお手伝いしてきますね」
そう言って麗が出て行った瞬間、その場は一気に険悪な雰囲気と化した。
その場にいるのは麗の弟である蓮漣秦、ソルト・ヴァルヴァレス、紫俄葵。そして、この険悪な雰囲気の原因である神室優樹。
秦は明らかに敵意を剥き出しにして優樹を睨みつけているが、彼の場合は単に「姉をナンパした不埒な男」と思っているだけに過ぎない。ソルトの「食材の買い出しに行って来い」の一言で、渋々秦も出て行った。
残る三人。ソルトは複雑な表情でその場に立っており、葵は珍しく不機嫌そうな表情で座っている。その目線の先で、優樹はへらへらと笑っていた。
「ちょっとお二人さん、怖すぎるってそれはー」
「仕方ないよ。僕らは君の事が気に食わないんだ」
「……」
「ヴェンタッリオに入った経緯の事? それならまぁ、仕方ないというか―――」
「それもそうだけど、なんか君の事気に食わないんだよね。単純に、第一印象から嫌いなんだ」
優樹がヴェンタッリオ幹部に入る事になったのは、彼が麗をナンパした結果、麗が幹部入りを勧めたからである。
それに対し、なかばシスコンじみている秦や、麗を大切に思っている葵やレンは苛立ちを憶えている。
「葵」
ずっと黙っていたソルトが不意に口を開き、葵はハッと顔を上げる。
「悪いが、やっぱり秦だけが買い出しに行っているのは不安だ。適当なものを買って来て貰っては困る。追いかけてくれないか」
「…………わかったよ」
若干顔を引き攣らせたものの、ソルトの顔を見て葵は部屋を出て行った。
座っている優樹とは少し離れた位置に立ち、黙り続けているソルトを見て、優樹は鳶色の瞳を細めた。
「えーと、ソルトだっけ? 君も俺の事気に食わないのかな。そりゃあ、大切なボスさんに気安く声をかけた男に対して腹を立てるのはわかるけど、」
「俺は、麗を信用している」
遮るように、凛としたソルトの声が部屋に響く。
「麗が選んだ相手だ。俺はお前を新しい仲間として認めている。秦や葵はまあ、微妙なんだろうが―――麗がお前を仲間にしたのだから、従うほかはない」
「そっか。それは有り難いな」
「だがな、これだけは言っておく」
―――刹那、優樹の表情が歪んだ。
明らかに先程の軽薄そうな顔ではない、端正な顔がしっかりとソルトを見据えていた。
「俺は、麗を裏切る者は絶対に許さない」
一瞬の間。
優樹はにこりと微笑み、わかってるよと笑った。
寒気がするような雰囲気が解け、ソルトも小さく笑う。
「ま、俺たちにとって麗は絶対、って事だ。ボスである麗を一番大切にする。これがヴェンタッリオのルールだ」
「把握したよ。ご指導有難うございます、センパイ」
「やっぱ腹立つな、その軽薄そうな感じ。とりあえず俺は料理の下準備をするから、お前は麗たちの手伝いでもしに行け」
「俺が主役なんじゃ」
「さっさと行って来い」
はいはい、とキッチンに立ったソルトに向かって返事をすると、優樹は部屋を出た。
(―――ソルト・ヴァルヴァレスか)
部屋を出た途端、自然と表情が硬くなる。
(最初は『俺は』で、次は『俺たちは』だったな)
頭の中で、先程のやり取りが甦る。
裏切り者は許さないと言ったときのソルトの表情、そして雰囲気。
抵抗する間も与えずに急所を掴まれたような、底冷えするような感覚。
―――案外、一番危険なのはあの人なのかもしれない、と。
薄っすらと鳥肌が立った感覚を覚えながら、優樹は思った。
(君が麗を裏切るのなら)(俺は君を殺してしまうかもしれないよ)
びちゃり、と血の海に足を踏み入れる。
瞬間、放たれた銃弾を避けて突進する。
「そっちだ、日向」
「ラジャー、ボス!」
誰かが吹っ飛ばされる音と、うめき声。
それにとどめを刺すように、乱射される銃撃。
「リコリス、ナイスだ。ロキア、先に行け」
「了解」
一人の少女が突き進み、その直後に多数の人影が少女を襲った。
「ロキア!」
「そっちへ行った! ユナ、リラ!」
「もう殺ってるよ」
バチバチと弾ける音、銃弾、切り裂かれる音、金属音。
そして―――歌声。
「“円舞曲《ワルツ》”―――」
銀色の髪が煌めき、幻影が敵を一斉に殲滅する。
「さすが、透離」
「任務完了…だな」
―――とある中小マフィアがこの日、カルコラーレファミリー幹部の手によってあっさり殲滅させられた。
「暑いです、ボス!」
「我慢しろよ。仕方ないだろ、この前お前とロキアがこの部屋のエアコンぶっ壊すから―――」
「あれは私のせいじゃないってーの。日向一人でやった事だぜ」
「何を勝手な事を言っているんですか! あのエアコンを壊したのはロキアでしょう!」
「元はと言えばお前が手ぇ出してきたんだろー」
とある真夏の昼下がり。
先日のロキアと日向の喧嘩によりエアコンの壊れた蒸し暑い部屋に、カルコラーレファミリーの幹部とボスは集まっていた。
カルコラーレファミリー幹部のツートップの不毛な争いに、その場の全員が顔を顰める。やれやれと言わんばかりに、ボスである閑廼祇徒が机を軽く叩く。
「うるせぇよ。エアコンは三日後届くんだからそれまで我慢しろよ。結局お前らの喧嘩のせいで壊れているんだから、お前らは文句言える立場じゃないんだって」
「うっ……まあ、そうだけどよ」
「あ、じゃあ! 海へ行きましょう!」
何がじゃあ、なのだと言う間もなく、日向がまくしたて始めた。
「せっかくの夏なんですから満喫しましょう! 海良いじゃないですか海ー!」
「うーん海か…良いかもね」
ユナの同意の言葉に、日向は嬉しそうに更に言葉を重ねる。
「でしょう! 青い海! 白い砂浜! 涼めるし一石二鳥です。そうなったら早速水着を買いに行きましょうっ」
「お前な……」
「でも良いな、海。私は好きだぜ」
「…………行きたい」
「そうね、良いかもしれない」
「おい」
口々に言う少女らを見て、深いため息を吐いた祇徒に、透離が言う。
「良いじゃないですか、海。ここのところ任務続きでしたし、久々に皆休暇がとれている事ですから息抜きだと思えば」
「息抜き…ねぇ」
「行きましょうよボス! 息抜きです、息抜き最高!」
再度ため息を吐き、祇徒は顔を上げた。
期待に満ちた皆の顔が目に映る。
「仕方ないな…行くか、海」
「やったあ! ボス、大好きですっ」
飛び跳ねるように抱きついた日向を疲れた顔で受け止めた祇徒は、さて自分の水着はどこに仕舞ったかを思い出そうとしていた。
―――涼しげな風鈴の音が聴こえた。
「何故こんな事に―――」
某デパートの女性用水着売り場。
カルコラーレファミリー幹部唯一の男、ボスである閑廼祇徒は、盛大にため息を吐いて壁にもたれかかった。
「今日はため息多いね、ボス」
「誰のせいだと思ってんだおい」
けらけら笑うユナを一瞬睨み付けると、天を仰いだ。
天井を見つめたのは、呆れと疲れのためだけではなくユナが手に持つそれ―――水着から眼を逸らすためでもあったのだが。
「ボスう~、どれが良いと思いますかっ!?」
駆け寄ってくる日向を一瞥して、「げっ」と祇徒は瞬時に嫌そうな表情を浮かべた。
「お前、何着持ってきてんだよ水着を! 大体二着ぐらいに絞ってから持って来い、というかそもそも持って来るな俺のところに!」
「ウブだなぁボスー」
「ちげえよ! つか、俺は水着持ってるし来たくなかったのになんでこんな羽目に」
「皆がボスに水着を選んで頂きたかったからなのでは?」
リラの言葉に、いよいよ祇徒の表情は苦々しいものへと変わる。
「あぁ…他の客の目が痛い…」
ちらほらといる一般客(※全員女性)の視線が祇徒に突き刺さっているのだ。
女性ばかりに祇徒一人が囲まれている時点で異様な光景であるのに、その光景が繰り広げられている場所がよりにもよって水着売り場だなんて―――
「はぁ……」
さっさと決めてさっさと海へ行って帰りたい。
祇徒の切実な表情に、周りの少女たちはクスリと笑った。
潮の匂いと波の音。
照りつく太陽の光が素肌を焼く。
「海だーーーッ!!!」
普段のテンション以上のテンションで砂浜を駆けていく三人(※ロキア、日向、ユナ)を見て、元気だなぁと呟いた。
「そうですね」
水着の上からパーカー、帽子を目深に被り日傘をしっかり握っている透離は、どうやら海に入るつもりは一切ないようだった。
銀色の髪が風になびく。
「リコリス、行きましょ」
「うん」
リラとリコリスは砂浜で城を作るようで、もう既に土台を作り上げていた。
「仕事が速い……」
「ボスは泳ぎに行かないのですか?」
透離の言葉に、祇徒は「あー」と答える。
「しばらくここで休んでるよ。もうちょっとしたら泳ぎに行く」
「そうですか。私はかき氷食べてきますね」
そう言って海の家へと向かった透離を見送り、祇徒は一人ぼんやりとはしゃぐ仲間の姿を見つめた。
(輝いている、皆)
こうしていると皆、普通の女の子だ。
剣も銃も持たない、ただの普通の少女たちだ。
(そんなこいつらに、俺は血を流させているんだな)
後悔や懺悔の気持ちは一切ない。
―――けれど。
(お前たちは本当にこれで良かったのか?)
“普通の女の子”でなくて、良かったのか。
(……あいつも、こいつらも、“普通の女”の道を歩めたのに)
自分のせい、なんだろうなと思う。
ロキアも日向もユナもリラもリコリスも透離も。
―――ヴェンタッリオのボスも。
深い青色の海が視界を埋める。
無意識のうちに、足をそちらへ向けていた。
(海って、好きでも嫌いでもなかったけど―――こんなにも、鬱陶しいものだったんだな)
身体を海に浸し、泳ぎ始める。
肌を突き刺す冷たさに、心地よさを感じた。
少女らの歓声が、遠くへ行ってしまうようだった。
(俺がボスにならなければロキアはカルコラーレに入らなかった)
泳ぎながら、青い海を見ながら、考える。
(日向もユナもリラもリコリスも透離も)
―――あいつも……俺も。
「祇徒!」
はっ、と、泳ぎをやめて、顔を上げる。
笑顔のロキアがそこにいた。
「遠泳か? だったら勝負しようぜ!」
「日向とユナは…」
「あいつらガチンコビーチバレー始めちまったから、暇なんだ。勝負、受けて立つよなぁ? 祇徒」
挑発的な態度に、思わず乗ってしまう。
「おお、やってやろうじゃねえの」
「そう来なくっちゃ。じゃ、もう少し行ったところから浜まで競争な」
「わかった」
もう少し離れたところまで泳ぎ、浜の方向へ身体を向ける。
「よっし、じゃあ―――スタートだ」
瞬間、二人は同時に泳ぎ始めた。
男女の差とかいうものは、ロキアには通用しない。
本気でやらなければ、必ず負ける。
(久々だなぁ……こういうの)
ロキアとは、よく勝負をした。
ファミリーの中では一番古い仲だ。幼い頃から知っている。
とにかく、色んなことが全て競争だった。
剣技の特訓も、マメの数も、競争だった。
そんな競争が、ロキアとやる競争が、とてもとても楽しかった。
(男顔負けの強い奴。負けず嫌いだけど面倒くさがり)
潔く勝ちも負けも受け止める、男顔負けの男前っぷり。
そこが、ロキアの良いところだ。
「っは…!」
「はぁ…はぁ…くっそ…引き分けかよ…」
岩の陰になっている浜辺に二人して倒れこむ。
全力で泳いだから、二人とも息が荒い。
「うおー、気持ちよかったぜ」
「だな。ロキアと勝負は久しぶりだ」
「そうだな。楽しかったよ、祇徒」
ロキアが上半身を起こし、祇徒に影が差す。
深緑色の左眼が、祇徒を見つめていた。
「―――私は楽しいよ、祇徒といると」
「え?」
「祇徒といる事、後悔した事なんて一度もない。私はカルコラーレファミリーの幹部になれて、祇徒の傍にいれて、凄く楽しいんだ」
―――他の皆も絶対そう思ってる。
深い森の色の瞳が、細められた。
「ロキア…、」
「さーて、運動したら腹減ったな。イカ焼き食いてー! 祇徒も食べに行こう」
「あ、ああ」
のそりと起き上がって、先に歩いて行ってしまうロキアの背を追いかける。
(お前は―――)
白熱している日向とユナ、砂の城を見事に完成させていたリラとリコリスに声をかけ、海の家へ向かった。
(お前らは、“俺たち”になれて後悔、してないんだな?)
かき氷を食べ終えたらしい透離も共に合流する。
「ボスっ、イカ焼き奢って下さいよぉ」
「はぁ? 金持ってんだろ」
「む…ケチですねーボスは! 楽しい気分が興醒めですよ」
「……楽しい、か?」
眼が醒めるような青空。
肌を焼く太陽の光が降り注いでいる。
青い海が瞳に映り、そして。
―――少女たちの笑顔も、映る。
(父さん―――)
俺はまだ、貴方を越えられないけれど。
貴方以上に良い仲間を持っているよ。
―――夏はまだ、終わらない。
「楽しいですよ、とても」
「…楽しい」
「ボスに連れて来て貰ったから楽しいですよ」
「楽しいよ」
「ボスと一緒にいられるんだから、楽しいに決まっているじゃないですか!」
祭囃子が聴こえる。
昔から、イタリアで過ごす夏が多かったから、慣れない音だった。
日本の夏なのだ、と思う。
日本という場所にいるのだと、改めて思う。
それと同時に、母さんは死んで自分がヴェンタッリオのボスになったのだと。
―――鼓動を揺るがす太鼓の音が、聴こえる。
熱くて青い祭りの日
「ねぇ麗ちゃん、お祭りに行こうよ!」
そうヴェンタッリオファミリーの幹部であり仲間である桐城昴に言われたのは、任務が終わって帰ってきたところだった。
「え、お祭り…ですか?」
「そう。ほら、少し行ったところに神社あるでしょ? そこで明日納涼祭があるんだって。皆で浴衣着て行こうよ!」
満面の笑みで言われて、少し考える。
確か明日、麗に任務はない。秦にも葵にも昴にもレンにもなかったはずだ。
「でも……ソルトさんには確か任務が」
「お祭りに行く時間までには必ず終わらせて帰ってくるって断言してたよ」
「断言…」
「最初は行けたらな、って感じだったんだけど、麗ちゃんに浴衣を着て貰いたいんだって言ったら必ず間に合うようにするって」
なるほど、と思わず苦笑が浮かんでしまう。
(ソルトさんはやっぱりお父さんです)
「でも、浴衣はどうするんですか? 私と秦君は持っていますが、他の方は…」
「葵とレンが今買いに行ってる。僕は最近買っておいたんだよ!」
準備の宜しいことで、と心の中で呟いた。
「だったらそうですね…行きましょうか、せっかくですし」
「やったぁ! 決まりだね、じゃあ明日行こう!」
楽しそうな笑みを浮かべる昴を見ると、自然と微笑みが浮かぶ。
世間一般では夏休みだ。たまには、こういう息抜きも必要だろう。
それに何より、日本の夏を自身が満喫したがっていた。
「秦とソルトに言ってくるね」
「はい、お願いします」
笑顔で廊下を駆けていく昴を見送ると、麗は浴衣をどこに仕舞ったかを思い出そうとした。
(これは、クローゼットを引っくり返す事になりそうですね)
―――窓から生温い風が吹いて来た。
*
太鼓の音が胸に響く。
「凄い音だな」
秦が呟く。その片手には、大きなイカ焼き。先程ソルトに買って貰ったものだ。
「聞き慣れない音だもんね」
金魚すくいバトルを繰り広げている葵と昴の横で、レンが言った。微妙な苦笑いを浮かべながら二人を見ている。
ソルトが無事に時間通り帰還して、丁度日暮れ時に祭りへと向かった。
今は既に日は落ち、祭りは更に熱が上がっている。
(不思議な気分です)
林檎飴を食べながら、麗は思った。
いつも人気のない神社が、これほどまでに賑わっている。
祭り中に響き渡る祭囃子がこんなにも素敵なものだとは、知らなかった。
(これが、日本の夏なんですね)
夏祭りは来た事がなかった。
幼い頃は、夏はほとんどイタリアで過ごした。
母が死んで日本にずっといるようになってからも、忙しくて夏祭りに行く余裕などなかった。行こうともしなかった。
やっと、落ち着いたのだ。
やっと、自分はボスとして落ち着けたのだ。
(私は…ヴェンタッリオのボスになったんですね……)
母は、死んだのだ。
「ボス!」「麗ちゃん!」
急に呼ばれてパッ、と顔を上げる。
葵と昴がすくった大量の金魚が入った袋を掲げて笑っていた。
「こんなにたくさん…凄いですね…!」
「ちょっと頑張りすぎたなぁ」
「そんなにたくさん獲ってどうするんだ。ちゃんと飼えるのか?」
ソルトの言葉に昴が頬を膨らます。
「飼うに決まってるじゃん! 大きな水槽、あったでしょ」
「あの水槽、使うときあるのかと思っていたけど、ここにきてようやく活躍の場が」
物置部屋に怏々と置かれている巨大な水槽を思い浮かべる。
とても幅をとるものであったから、物置部屋からなくなったら今まで置き場所に困っていたものを物置に収納できる。
「大助かりです」
「僕の部屋にあの水槽置こうっと」
「凄い幅とるけどね……」
わいわい会話している仲間を笑っていると、ふと視線を感じて横を見た。
今横を通り過ぎて行った家族連れが、不思議そうにこちらを見ている。
気が付くと、チラチラと横を通行していく人々がこちらを見ているのが窺えた。
(確かにこの面子は異様かも……)
五人の男性陣の中、麗一人。しかも、六人中二人はどこからどう見ても外人だ。目を引く集団である。
(普段あまり気にしていなかったけれど)
視線を戻すと、葵と目が合った。にこりと微笑まれて、思わず笑みを返す。
(葵さんもどことなく日本人離れしていますよね)
というよりも、人間離れしている。
「麗」
名を呼ばれ、葵から視線を外すといつの間にか横にソルトがいた。
「ソルトさん」
「疲れたか?」
「いえ、ちょっと考え事を」
「そうか。いつまでもここでたむろしているわけにはいかないし、もう少し歩こう」
「そうですね。私、綿あめが食べたいです」
「林檎飴の次は綿あめか…甘いものばかりだな」
「太るよ、姉さん」
「うるさいですよ、秦君」
ぞろぞろと歩き始める。
たくさんの人の波に呑まれつつ、誰もはぐれないのは何故だろう。
(あぁ、でも―――)
いつまでこうしていられるのだろう。
祭囃子と人の喧騒の中、思考が駆け巡る。
いつまでこうしていられるのだろう、いつまでこうやって仲間と共に歩けることができるのだろう。
いつまでも、こうして仲間と共に笑い合っていられないのだろう。
歩きながら空を見上げる。祭りの明るさで星はほとんど見えない。
横を通り過ぎる家族連れ。
父親と母親、姉と弟。楽しそうにはしゃいでいる姉弟。それを見守る母親の姿。
(母さん―――私、)
この楽しい日々を、仲間を護れる立派なボスになれるでしょうか。
母さんみたいに、なれるのだろうか―――。
「……母さん」
「麗ちゃんっ」
はっ、とした。
昴が右に並んで歩いている。
「お祭り、楽しいね!」
「ええ、そうですね…凄く、楽しいです」
満面の笑みを向けられる。昴らしい、楽しそうな笑みだ。
祭りに相応しい笑顔。
「僕、お祭りなんて久しぶりだよ……ずっと幼い頃には毎年家族で行っていたんだけど」
そういえば彼は、と思い出す。
桐城昴は、最悪の家庭環境であったと。
その昴が真横にいるのにも気づかず、母さんなんて言ってしまったことを少し後悔する。
(聞かれていたでしょうか…?)
「でも、皆で行くお祭りのほうがずっとずっと楽しいね」
昴の笑顔は変わらない。
「また、来年も来ようね。麗ちゃん」
「―――そうですね、必ず来ましょう…!」
浴衣の袖がひらりと揺れて、昴が葵と秦の元へ駆けてゆく。その斜め前にソルトが後ろを気にしながら歩いているのが見えた。
「人が沢山いるね」
麗の前を歩いていたレンが呟いたのが聞こえて、麗は足を速めてレンの横に並んだ。
「そうですね、賑わっています」
「秦も昴も子供みたい」
「はは…祭りですから、はしゃぐのも仕方ありませんよ」
「いよいよソルトはお父さんだ」
「いつでもソルトさんは皆のお父さんですよ」
そうだったね、とレンが言う。
横顔は無表情だったが、前方を見つめる眼はどことなく温かい。
「ソルト、無理したんだよ」
「え…?」
レンの思いがけない言葉に、思わず眼を見開く。
「麗様は今回のソルトの任務内容知らないだろうけど、結構大変な任務だったんだ。僕は絶対間に合わないと思った」
「そんな……」
知らなかった。最近は自分の仕事に手一杯で、秦や昴のほうに眼を向けるのが限界だったのだ。
「ソルトさん、何も言わないから……」
「秦も昴も知らないから。ソルトは基本的に自分の仕事の事全く言わないし、僕も今回ぐらいだよ任務内容知ったの。葵だっていつも把握しているわけじゃないと思う」
自分の事は自分でやる、とソルトは言って、麗に自分の面倒を見させないようにしている。葵も若干その節があって、葵の場合は不安に感じるため気にしているが、ソルトには任せきりだった。
「あ、でもそれはソルトのプライドだし、麗様は気にしなくていいと思うし、これからもこれでいいと思うんだけどね。でも、一つだけ」
目の前で苦笑いを浮かべながら、秦と昴と葵を見守るソルトの姿。
「最近、麗様忙しかったでしょう。それで昴は夏祭りに誘ったんだ。でもソルトは麗様も自分も忙しい事わかっているし、昴と違って息抜きのために夏祭りへ無理して来たわけじゃない。浴衣を着て貰いたいなって昴が言った瞬間に何があっても行くって言い出したから、昴はまた父性的な感情でそう言っているんだと思ったかもしれないけど」
レンが言いたいことはわかった。しかし、レンの言葉を待ってしまう。
「麗様が浴衣を持っているのに一度も着てない事、ソルトは知ってる。日本の夏を過ごさないようにしている事も。僕にはそれぐらいしかわからなかったけど、ソルトはどうしても麗様に日本の夏を過ごしてほしかったんだと思う」
レンはそういうと、すっと麗から離れた。
そういう事なのだ、と麗は思った。
日本の夏らしさを味わわないようにしていた、無意識に。
母さんがいない事を思い出してしまうから。
ソルトにはそれを見抜かれていたのだ。
(でも、もう大丈夫です)
きっともう、大丈夫。
私は日本の夏を過ごしていける。
来年も、夏祭りに皆で来られる。
(母さん―――私はヴェンタッリオのボスになったんです)
「姉さん、ほら綿あめ」
「ありがとう、秦君」
秦に綿あめを渡され、空を見上げる。
大きな音が鳴って、花火が星の代わりに空を彩った。
「花火だ!」
歓声が上がる。
皆が空を見上げているのを見て、微笑んだ。
…夏祭りはまだ終わらない。
激しい攻防が繰り広げられていた。
少女と少年が、大勢の黒ずくめの集団に武器を振るっている。
(中小マフィアだからと言って舐めていましたね―――こんなに大勢だなんて、聞いていない)
少女は忌々しそうに小さく舌打ちをすると、自身の武器である扇を握り直し、真っ直ぐに前を見据える。
(でも、倒れるわけには行かない―――私は、ボスなんですから。仲間が、いるんですから)
ボス。
少女―――蓮漣麗。
彼女は、ヴェンタッリオファミリーのボスだ。
(限界が近い―――私も、葵さんも相当攻撃を……血を流している)
共に戦っている少年、紫俄葵を横目で見やる。
二つの刀を振るい、敵を薙ぎ倒していっているが、攻撃を防げていないのは明らかだった。黒い服にところどころ、濃い染みを作っているのがわかる。
(倒れるわけには行かないんですよ)
護らなければならない。守らなければならない。なんとしてでも、何があろうとも。
―――そのときだった。
「ボス―――ッッ!!!」
葵の声が聞こえて、麗は自分に銃を向ける男の姿を確認した。
「っ……!!」
―――銃声。
前を横切る人影。
「あ、葵さん……ッ!!!」
「っく……ぁ、」
葵の腹部から溢れ出す大量の血を見て、目の前が真っ暗になった。
「そんな、葵さん、……っ!!!」
「―――麗、」
ぐ、と。
苦しげな、でもはっきりとした声で。
いつも呼ばれる「ボス」ではなく―――自身の名を呼ばれて、麗は葵を見た。
「良いかい、麗。まだ倒れちゃ駄目だよ」
「あ、おい……さん、」
「僕が道を作る。必ず君を護る。僕がずっと傍にいるから」
「葵、さん―――」
「……麗、君は―――まだ、そこで戦える」
だから、走れ。突き進め。倒れるな。
(わかってます)
「じゃあ、行きますよ―――葵さん」
「うん」
今一度、扇を握りなおして。
―――走った。
―――奔った。
―――疾った。
(私は護られているんですよね。だから、護るんです)
守られているから、守るのだ。
葵が眼の前を走っているから。血を流しながら、刀を振るい続けているから。
だから、自分も扇を握り締めて―――戦う。
(絶対に、倒れません)
襲い来る者たちを薙ぎ払っていく。
(絶対に、勝つんです)
右腕に抱えた勝利の女神
(貴方が傍にいる限り、私は絶対に倒れません)
戦う意義なんて知らない。
戦う理由なんて判らない。
戦う意味なんて見えない。
……それでも戦うのは―――、
戦場は雨
「あれ、貴方は……ヴェンタッリオの」
「あ」
ある日の昼下がりの事だった。
ヴェンタッリオのボスである蓮漣麗、そして幹部の蓮漣秦、ソルト・ヴァルヴァレス、紫俄葵の四人がそれぞれ任務に赴いていて、同じく幹部の桐城昴は暇潰しに散歩に出ていた。
そこで―――敵対マフィアであるカルコラーレファミリーの幹部の一人、同じ術士の楼上透離と出くわした。
「お久しぶりですね。散歩ですか?」
「あ、うん。暇でさー」
「奇遇ですね、私もです。任務に出ている方が多くて」
「同じ!」
にこやかに微笑みながら会話する二人。
以前出会ったときも、このように和やかに会話をした。敵対関係ではあったが、仕事中ではないので気にしない。どうも話が合う二人なのだ。
「天気が良くないね。散歩に出るときは凄く晴れていたのに」
「そうですね。そろそろ降り出すかもしれません」
「そういえばソルトが言ってたなぁ。今日から一週間、天気あんま良くないんだって」
「嫌ですね、雨は好きですが曇りは嫌いですし、雨が続くと色々困ります」
「へぇ、雨好きなの?」
「……えぇ、」
(? 何だろう、この間)
雨が好きだと答えた彼女は、苦笑混じりの笑みを浮かべた。
「―――この前、任務に出たのですが」
「え? …うん」
「簡単な任務だと思っていたのですが、意外に難しくて。梃子摺ってしまっていたんです」
澄んだ銀色の瞳が、すっと細められた。
髪よりも少し濃い、綺麗な銀色の瞳。
「私は少し怪我を負ってしまって。私は術士としての才能はあると自負しているのですが―――自惚れだと言われたらお終いですけれど」
「…そんな事、ないよ。君の幻術は凄いと思う」
「有難う御座います。それでですね、私は、術士としては強い方ですが、戦闘能力として考えるとそこまで強くありません。幹部の中では、最下位です」
それが、最初は―――悔しくて、申し訳なくて、劣等感を抱いていました。
静かに微笑んで、透離は言った。
「でも、ボスが優しい言葉を言ってくれました。だから、私は劣等感を抱くのをやめた。でも、それでもこういうピンチのときは困りました。本当に、死ぬかと思った」
「助けに、来てくれた……?」
「ええ、助けに来てくれました。私は、実のところ、戦うのがあまり得意ではありませんから、戦うこともあまり好きではないんです」
「そう、なの?」
「はい。でも、私は結局戦ってしまうんですよね。大切な人たちを護る為に。それを、今回の件で実感しました。私の戦う理由は、誰かのため」
―――貴方の戦う理由は何ですか?
黙った昴から眼を逸らし、透離は空を見上げた。
「……雨が降り出す前に帰ったほうが良さそうですね」
「―――そうだね、大雨になりそうな予感」
じゃあ、また。
昴はにっこりと微笑むと、透離に背を向けた。
―――雨はその晩から降り出した。
*
「ただいまー」
「お帰りなさい、昴さん」
笑顔の麗に迎え入れられ、昴は笑顔を返した。
「任務、お疲れ様です。怪我がないようで何より」
「うん。他の皆は?」
「秦君とソルトさんはまだ任務中で、レンさんは昴さんより一足早く帰って来ました。葵さんと二人で、トランプをしていましたよ」
「えっ、トランプ!? 僕もやりたいのに!!」
くすくすと笑う麗を恨めしげに見つめ、昴はすぐに自室へ走って着替えをし、葵とレンのいる居間へと向かった。
「あ、お帰り、昴」
「お帰り」
「ただいま。トランプ、僕も入れてよ」
「言うと思ったよ」
ソファに座ると、手札が配られるのをじっと待つ。
「そういえば、カルコラーレの術士がさ」
「え?」
急に話し出した葵に、思わず間抜けな声で返してしまう。
レンは何の話か知っているのか、無表情で手札を配っている。
「……カルコラーレの、術士?」
「そ。今日、その子と下の人たちが戦ったらしくて。結構手酷くやられたんだって。だから、次会ったら……わかるよね?」
突き刺さる言葉。
カルコラーレの術士といわれて、思い出すのは彼女しかいない。
彼女―――美しい銀髪を持つ、雨が好きだといった少女。
「楼上、透離の事……?」
「―――そういえば、昴はその子と仲が良かったね」
嘲笑じみた、葵の笑みが、酷く歪んで見えた。
*
自分の戦う理由は、わからない。
わからないけど、きっと透離と同じ。皆、同じ。
麗ちゃんも秦もソルトもレンも葵も。
誰かのために、戦っている。
「来ると、思っていました」
叩きつけるように降る雨の中で対峙する二人―――昴と透離は、酷く醒めた眼でお互いを見つめていた。
「私を殺しに来たのでしょう?」
「……違うよ」
大雨はまるで霧のように、辺りを霞ませていた。
その中で、透離が少し意外そうな顔をしたのがわかった。
「僕は、君と戦いに来たんだ」
「……なるほど、そういう事ですか」
ならば、受けて立ちましょう。
瞬間―――雨の中から、美しい歌声が聴こえ―――巨大な銀色の鳥が現れ昴を襲った。
「“幻想曲《ファンタジア》”」
「戦う意義も意味も理由もわからないよ」
それを自分の幻術で相殺し、昴は叫ぶように言う。
「僕も戦う事、好きじゃないのかもしれないって思った」
「いいえ、貴方は違います。私とは、違います」
雨の中、お互いは一切動かずに―――ただひたすら、幻だけが激しく攻防を繰り返している。
「―――私が、雨が好きな理由……“鎮魂歌《レクイエム》”」
「え? …っ!」
昴の幻術が怯んだ隙に、透離が畳み掛けるように攻撃をする。
「私の幻術の師匠が、雨とつく名前だったからです。…単純でしょう?」
「っ……そう、だね」
二人の姿が霧に紛れた。
刹那―――二つの、銃声。同時に放たれた幾つもの銃弾が、二人の身体を突き抜けていった。
「がはっ……、」
「っく…!」
雨が二人を突き刺すように、激しく降り注ぐ。
「雨は―――師匠の事を思い出して、好きだけど、辛くて、そして……痛いです」
「……」
不意に、雨の中、傷だらけの身体で外に放り出された母の姿を思い出した。
そして―――絶望で放心状態になった母の姿と、惨めにふらふらと歩いた幼い過去の僕。
「雨は……痛いね」
焼け付くような痛みと、眼に痛い赤と。
それと、遠くから聞こえる―――自分の名前を呼ぶ声。
「昴!!」
「透離!!」
ああ、来てくれた―――そう思って、昴は眼を閉じた。
「―――だから、戦うんです」
少女の美しい声が、鼓膜の底へ吸い込まれた気がした。
END
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