第一話
裏社会に君臨する、《絶対権力者》と謳われる皇帝というものが存在する。その皇帝が居ると噂される、政府の拠地の塔。
その塔がある首都の市場で、一人の少女が走っていた。
少女はわき目も振らず、ただひたすらに走り続けていた。黒髪は乱れ、眼にも鮮やかな紅いシルクハットは地面に転げ落ちる。その少女の後ろから、黒い人影が迫っていた。
「はぁ、はぁ・・・」
走っても走っても、追いかけて来る黒い影。少女はシルクハットと同色のエプロンドレスを翻し、延々と走り続けていた。
「くっ・・・」
もう駄目だ。少女の腕を、黒い人影が掴む。と、そのときだった。
「――― 走って!」
黒い人影ではない、誰かの腕が、少女の左手を掴み細い路地へと引っ張った。咄嗟のことに、少女はされるがままに路地に転がり込んだ。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
少女の腕を掴んだ者は、一瞬少年にも見紛う貌に、柔らかい微笑を浮かべていた。そしていつの間に拾ったのか、落としたシルクハットを少女の頭に優しく被せた。
「僕は翠と言います。怪しい人間ではないので、安心して下さい。どこか怪我はありませんか?」
「大丈夫・・・有難う。あの、黒い奴等は・・・?」
「もう、大丈夫だと思いますよ。見て御覧」
恐る恐る、少女が路地から顔を出すと、一人の青年が刀を手に立っていた。その周りに、少女を追いかけていた奴等が倒れ臥している。
青年は静かに刀を鞘に納めると、顔をこちらに向けた。蒼と紅の瞳が鋭く光る。
「弱かったな」
冷たい表情を浮かべて、青年がこちらに向かってきた。どうやら、翠と名乗った少女の仲間らしい。
「いつも通り、お見事」
翠が青年に、にこりと微笑みかける。先程からその笑みは、全く崩れていなかった。
「何があったのかは知りませんが、無事で何よりです」
「あ、うん・・・本当に、有難う。助かった」
「それは良かった」
翠が笑みを崩さないのに対し、青年は眼を細めて少女を見ている。その表情からは先程の冷たさは消え失せ、単なる好奇心のようであった。
「・・・紅いシルクハットに紅いエプロンドレス・・・紅い少女・・・深紅の魔女・・・?」
「世賭?」
どうやらこの青年は世賭と言うらしい。
世賭はやがて、思い出したかのように口を開いた。
「お前、《暗黒のアリス》じゃないか?」
「・・・え?」
そうだ、と世賭は頷く。少女の表情に翳りが見え出したことには気付かず、彼は話を続ける。
「僕も詳しくは知らない。紅いシルクハットに紅いエプロンドレスを身に纏う、最強の少女。二つ名が大量にあって、《暗黒のアリス》に留まらず《下剋上のアリス》や《千年魔術師》、《最強君主》、《深紅の魔女》、《暗黒の女王》、《血染めのアリス》と様々。とにかく最強だって噂だ」
そんな少女が何故、ここに。しかも何故奴等に追われていたのか。
「何故、戦わなかった? 最強と謳われる存在のお前が」
少女は深紅の瞳を妖しく光らせ、自嘲するかのような笑みを浮かべた。
「――― 時は2765年。表社会という平和な世界とは真逆に存在する、何もかも“在り得る”世界である裏社会。その裏社会に君臨する《絶対権力者》の皇帝。その皇帝の座を狙う裏社会の者たち。刀や剣をぶら下げている貴方たちは、裏社会の者ね。それならば知っているはず。今、裏社会の風潮が何と呼ばれているか」
現在の裏社会の風潮――― 《第二の下剋上》。下位の者が上位の者の地位や権力をおかす風潮。
「私は強い。だけど皇帝の座なんていらないの。そんな人間は、今の裏社会では邪魔だってことぐらい、わかるでしょ? だから私は戦わない。そう、決めているの」
「――― 邪魔な存在は邪魔者として引っ込んでいよう、とは見上げた精神だ」
世賭が小さくふっ、と笑い、少女を見据えた。翠もまた笑顔を一切崩さない。
「分別ある人間なんですね、お嬢さん。感心しました」
「え・・・えっと・・・?」
「お名前、何と言うのですか?」
少女は困惑しつつも、アリカ、と名乗った。
「アリカちゃん、ですか。では、家まで送りますね。方角はどちらでしょう?」
「え、あの・・・今の話聞いて、何も思わないの・・・? 恐がったりとか、莫迦にしたりとか・・・それに、家まで送るなんて危ないよ?」
途端に世賭と翠は同時にくっ、と喉を鳴らし吹き出した。困惑するアリカを余所に、翠は柔らかい笑みを浮かべてアリカの頭に手を載せる。世賭は薄い笑みを浮かべて、とん、と路地の壁に背中を預けた。
「何も思わない。お前が言っただろう、裏社会というのは何でも“在り得る”世界だ。何を今更、だ」
「危ないのも承知ですよ。今の裏社会は強い奴を見つけたら潰す。それに加えて、貴女は狙われている。その狙っている者に僕らは眼をつけられたでしょうね。でもそんなこと僕らには関係ないんです」
「つまりは――― 」
――― そんなものも全て、どうでもいいってことだ。
「っ、くく・・・」
「?」
アリカは紅いシルクハットを目元まで下げ、身体を震わせた。
「あははははッ!」
「あ、アリカちゃん?」
「あははッ、気に入ったぁ・・・気に入ったよ!」
空気が一瞬にして変わり、アリカはシルクハットを元の位置に戻し、ぎゅっ、と世賭と翠の手を握り締めた。その様子の変わりように、世賭と翠は呆気に取られてアリカを見つめる。
「そうだ、貴方たち旅人なんだよね? ということは、宿が必要ってことだ!」
「え、ああ・・・まあ」
――――――― 「ねえ、私のうちに来ない?」
――― 瞬間、世界は真逆の方向へと動き出した。
...第二話に続く
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
Sex:女
Birth:H7,3,22
Job:学生
Love:小説、漫画、和服、鎖骨、手、僕っ子、日本刀、銃、戦闘、シリアス、友情
Hate:理不尽、非常識、偏見