終末のカナリア...中編
目覚まし時計の音が鳴って、透離は眼を覚ました。ソファで寝た為か、身体が痛い。
(さっきの、あの夢は―――)
《夢喰い》と称したあの男。時雨という名前だったか。あの不愉快な表情が頭にこびりついている。
「なんて胸糞悪い悪夢・・・」
だが、あのピアノは―――時雨が奏でたノクターンは、素晴らしかった。
ショパンの夜想曲第二番変ホ長調は、透離が最も好きな曲。父と母が初めて自分に聴かせてくれた曲。自分に初めて教えてくれた曲。自分が初めて、歌をつけてみた曲―――。
(また来いよ、と言っていましたね・・・)
あの時雨という男は気に食わないけれど。時雨が弾くノクターンを聴きにいけるならば―――
柔らかい微笑を、透離は浮かべた。
*
堕ちていく―――“夢”へと、銀色の闇へと。
「よォ、来たか」
「・・・・・・ぐっ、」
睡魔に襲われた瞬間、深い闇に沈む感覚に陥り、気がついたら市松模様の床へ落ちた。
したたか腰を打ちつけ、思わず漏らした呻き声を笑われ、不快な気持ちで時雨を睨みつける。
「随分派手な登場だなァ、透離ィ」
「うるさいです。私だって好き好んでこんな風に落ちてきたわけではないですから」
腰をさすりながら透離はゆっくりと起き上がった。ピアノの縁に手を置き、ニヤニヤとした笑みを浮かべる時雨を睨み続けながら、透離は深いため息をつく。
「ピアノを弾いていない貴方になど毛頭興味ありません。早く現実に帰らせて下さい」
「今来たばかりなのにもう帰りたいのかァ? 慌ただしいヤツだな」
「戯言はどうでもいいです。早くあの扉を出して帰らせて下さい」
「まァそう焦るなよお嬢さん。ようやっとお嬢さんの素質に気がついたンだからよォ」
微かな反応。時雨の口の端がゆるりと引き上がったのを見て、透離は眉を顰めた。
「昨日はわからないと言ったではありませんか」
「気付いたンだよ。お前は俺と共鳴した。俺と共鳴できンのは大概幻術使い・・・術士だ。つっても今はもう術士でも俺と共鳴出来てこの部屋に来れるヤツなんざいねェけどな」
「つまり、私には術士の素質があると?」
「まァ、そういうこった」
そんなはずはない、と透離は口の中で呟いた。私はただの脆弱で音楽好きな殺し屋だ。
「信じてねェだろ。でもそうに違いねェんだよ。そうじゃなきゃ、この部屋には入れねェ」
そう言うと、時雨はピアノの前へと移動し椅子に座った。
「眼を閉じて音に集中しろ。脳髄に響いたと思ったら右手の中指を動かせ」
「は・・・?」
「黙って言うこと聞け」
その緊迫ある声に、思わず透離は眼を閉じた。一瞬の間も無く、低く沈むようなピアノの音が鳴った。
(―――これは“ソ”)
脳髄に響く、というのがあまり理解出来なかったが、何だか違う気がした。
しばらく経った後、また鍵盤が鳴る。
(一オクターブ高くなった・・・これも“ソ”)
次にまた、一オクターブ高い“ソ”が部屋に響いた。
(違う)
衣擦れの音。袖が動いた音。右腕を動かしたのだろう。
―――刹那。ギリギリと締め上げられるような苦しさと耳鳴り。それと共に、二オクターブ高くなり半音上がった“ソ”の音が頭の中で反響した。
「っ・・・!?」
「これか」
ポーン、ポーン、と何度も鍵盤を叩く。ペダルを踏み、更に響く。脳髄に反響する。響く。響く。響く。
(―――不快だ)
これほどまでにピアノの音を不快と思ったことはない。
脳髄に刻まれていく鍵盤の音を薙ぎ払いたい気持ちに駆られ、透離は頭を押さえた。だが、音は鳴り止まない。
(やめて、)
反響していた音がやがて不協和音と変わり、更に不快さが増していく。耳鳴りが止まない。
「ぐぁ・・・っ!!」
ノイズが身体中を駆け巡り、世界が一瞬にして真っ暗になった。
ガクン、と透離は床に倒れこみ、遠ざかる耳鳴りを聞いた。既に時雨はピアノから離れ、透離の真横に屈んでいる。
「半音上がった“ソ”。出せるだろ? さっきの、脳髄に響いた“ソ”だ」
かすれた声が出た。
「あ・・・・・・・・・」
「そのまま、歌声に」
かすれた声が次第に澄んだものとなり、やがて美しい歌声に変わった。
「歌え、」
「唄え、」
「謡え、」
音は変化し、曲に変わった。
―――瞬間、透離を取り巻く空気が歪み、歪み、そして―――銀色に変わった。
「“鎮魂歌”《レクイエム》だ」
ぶわり、と空気が舞い上がり、宙に浮かぶような感覚。いつの間にか、透離の長い黒髪が銀色に変わっていた。
何が起こったのか、透離にはわからなかった。だが、自分の“歌”で何かが起こっているということだけはわかった。
空間が歪む。銀色に染まる。歌が響く。
「もういい、やめても」
ふっ、と力が抜けるように、透離は歌うのを止めた。歌っている間感じていた歪みが、すっかり消え失せる。
「すげェな。俺じゃなかったら取り込まれてた」
「・・・何が、です・・・?」
「幻術にだよ」
お前のな、と時雨はつけたした。思わず透離は眼を丸くする。
「どういうことです?」
「今、お前は幻術を発動させたンだよ。言っただろ、“鎮魂歌”《レクイエム》って。今のお前の幻術は、かけられた相手が苦しみを味わう幻だった」
「でも、私は何も・・・」
ニヤ、と時雨はまるでチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「お前は“歌”を媒介とした幻術を発動させたンだ」
「歌を・・・媒介・・・?」
「極めて特殊なパターンだなァ。ま、音楽好きらしいお嬢さんに似つかわしい幻術だ」
驚きの表情を浮かべる透離を鼻で笑い、時雨はピアノの蓋を閉めた。
「なァ? お前には素質があった。俺の言ったとおりだったろう?」
そう言って、銀色に煌く髪を揺らして、時雨は笑った。
*
透離の幻術はどんどん上達していった。毎日毎日、“夢”で時雨に幻術を教わり、時雨のピアノなしで幻術が発動できるようにまで透離はなった。
“歌”を変えれば“幻”は変わる。
幻術の効果は幅広くなり、殺しの仕事が楽になった。
そして―――透離は、閑廼祇徒と出逢う。
*
(今では不快だったあの男は、立派な私の師匠ですか)
仕事に向かう途中、ぼんやりと透離はそんなことを思っていた。
(師匠、なんて絶対に呼んでなんかやりませんけど)
今回の仕事は、とある中小マフィアの壊滅だった。中小マフィアといえども、一人で相手にするにはかなり多いが、幻術で精神破壊が出来るようになった透離にはとても容易い。
「“奇想曲”《カプリス》」
次々と悶え倒れこむ人間を、透離は愛用の銃で次々と撃って行った。
(無駄に数が多いですね・・・報酬は予定より多く貰いましょう)
そのときだった。
「危ない!」
パンッ、という聞き慣れた音―――銃弾が放たれた音と共に、少年の声が透離の耳に届き、透離は勢い良く振り返った。
鋭い金属音、男の悲鳴。
(一体、何が)
「大丈夫か?」
透離の前には血に濡れた剣を手にした少年が立っていた。透離と同じくらいの年の少年は、黒い瞳をこちらに向けて、剣を一振りする。
どうやら透離に向けられた銃弾を剣で弾き、助けてくれたらしい。
「悪いな、お前の獲物を殺っちまって」
本当に申し訳なさそうな顔をして、少年は薄い笑みを浮かべた。
「でもこっちも仕事でさ。お前が壊滅させようとしたファミリー、うちと敵対してて」
「ということは、貴方もマフィアなのですか?」
こんな自分と変わらないぐらいの少年がマフィアに入っているなんて・・・と透離は思ったが、自分もこの年で殺し屋などやっているので何とも言えない。
「ああ。それより、ほんと助かった。お前がほとんどの敵殺ってくれた・・・つーか、幻術か? をかけてくれたおかげで、楽だったし。それでさぁ・・・」
―――うちに来ないか?
少年の名は閑廼祇徒。齢12にして、カルコラーレファミリーのボスだった。
...後編に続く
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Job:学生
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