[FourthDay]
世界は巡り―――私は、賭けに勝てるのだろうか。
*
夕日による赤光が私を突き刺していた。ぞっとするほど美しい落日が畳を赤く染めている。
ふと、私の胸の内に蜘蛛の糸が垂れた。私は私を嘲り笑いたい気持ちに襲われ必死に耐えたが、結局耐え切れず薄笑いを浮かべてしまった。私が欲しいものは蜘蛛の糸ではない。そもそも、蜘蛛の糸などを求める者なんて此の世界に存在するのだろうか。
―――此れは、賭けだ。
私が柏木帷を殺すか。少年が柏木帷を救うか。賭けである限り、私と少年は同等の存在である。
―――其れは、賭けだ。
私は僅かな確信と最終手段を両手に掲げた。比喩である。愚の骨頂である。
―――あれは、賭けだ。
私は静かに起き上がると、放置していたワープロの電源をつけた。
*
午後十二時五十三分。私は柏木帷の通う市立中学校にいた。丁度昼休みが始まる頃なのか、子供たちがわらわらと校舎から群がり飛び出していく。遠目で見たら其れはまるで虫の大群のようであっただろう。少なくとも子供があまり好きではない私には、おぞましい虫の大群に見えた。困った眼である。
其の虫の大群に呑み込まれそうになりながらも、私はなんとか下駄箱に辿り着いた。無駄な達成感があった。愚か過ぎて涙も出ない。
柏木帷の下駄箱を捜していると、数日前に柏木帷の事について聞いた東堂穆矢を発見した。
「柏木帷の下駄箱は何処にありますか」
其のように問いを投げかけると、東堂穆矢は快く答え、眼の前まで案内してくれた。彼は何と素晴らしい少年なのだろう、と感心する。此処まで純真で人を疑う事を知らぬ少年はきっと良い人間へとなるだろう。私は少年の未来に大きなエールを送った。
私は心の中で東堂穆矢に向けてエールを送り続けながら、柏木帷の下駄箱に二つ折りにした手紙を入れた。
*
夕暮れが近付いてきた午後四時丁度。赤から青へと変わる境目の紫色を見つめながら、私はぼんやりと立っていた。
柏木帷の住むマンションの屋上は、だだっ広く何もない、良いところだった。
私の最終手段は柏木帷を転落死させる事であった。昼間、彼女の下駄箱に入れた手紙には此処に来るよう書いてある。
来るか、来ないか。否、来るであろう。
がちゃり、と屋上の扉が開く音がして、私は振り返った。
「柏木さんを転落死させるおつもりですか」
「……」
ほうら、来た。賭けの行く末が決まった。
「柏木さんを救いに来ました」
「………………限夏婁、」
私は少年の名前を口にした。少年が薄く笑ったのが判った。
「ルール違反だ」
ぞわり、と何かが這い出るような感覚に襲われる。
「やっぱり、君は世界が繰り返されている事を認識していたんだな」
「其のとおりです」
―――此れは、賭けだ。
だから私と少年の立場は同等である。私が憶えている事は、少年も憶えている筈なのだ。
だから、少年は―――阻止が可能だったのだ。
「一回目は偶然でした。何となく柏木さんを尾行しようと思い立って尾行していたら、貴方が現れて彼女を連れ去った」
「でも君はすぐに助けに来なかった」
「賭けをしたんですよ」
「……賭け?」
少年は頷く。其の無表情が不気味だった。
「次の日、僕が助けに行くまでに死んでいたら僕の負け。無事救う事が出来たら僕の勝ち」
「薄情だな……」
なんて残酷な少年だろう、だが少年がそうしていなければ、今の私はいないのだ。だが、少年が何もしなければ私は柏木帷を楽に殺す事が出来た。
「僕は賭けに勝った。柏木さんは救われた。其れで、終わりのはずだった」
「だが世界は繰り返された。私の願いによって。君は驚かなかったんだな」
「此の世は摩訶不思議な事ばかりだと姉が云っていたので。そういう貴方こそ」
「私が願った事だ、驚くなんて筋違いだろう」
少年は其れもそうですね、と呟いた。
私との距離が、縮められた。
「其の後は貴方のお考えの通りですよ」
「君は私の殺意を知っていた。柏木帷と私の動向に注意を向けているだけで良かったから」
「そうですね。どれも容易い事でした」
「―――此のまま世界を繰り返し続けるつもりだったのか?」
「ええ、まあ。でも予感はしていました。そろそろ貴方がルール違反をするんじゃないかって。定められた言葉を発さなくなるんじゃないかって」
「君は聡明だな」
「狡賢いだけですよ」
くくっ、と初めて少年は楽しそうに喉を鳴らした。
私はゆっくりと後ろに下がり、屋上の手すりにもたれかかる。
「私も賭けをしていたよ」
「柏木さんが此処に来るか、僕が此処に来るか」
「ああ」
「柏木さんが此処に来たら、柏木さんを突き落とす。僕が此処に来たら、」
続きは云わなかった。あまりにも続きが判り易過ぎる。
「貴方は一回目のときも同じような賭けをしていましたね」
「机の上に置いてあったワープロの文面を見たのか」
「はい。柏木さんを殺せたら警察に捕まり、柏木さんを殺せなかったら自分を殺すつもりだった」
「でも出来なかった。君が現れたから」
私はす、と眼を細め、前を見据えた。落日が私を鋭く突き刺す。
フェンスから覗いた空と地面はあまりにもかけ離れた存在のように見えて、何だか飛べるような気がした。最後まで愚の骨頂である。
「其れでは、然様なら」
そう云ったのは、果たして誰だったのか。
*
“○月△日の午後四時二十八分に、△△町の##マンション屋上にて、転落事故がありました。転落死したのは******さん、二十一歳で、自宅に遺書と思われる文面が書かれた紙が発見された事から、警察は自殺と見て調べを進めています……”
不明確な理由も、理不尽な殺意も、筋が通っていない事実も、全て彼の望みどおり黙っていよう。
そうすれば、其れで彼の賭けは終わりを迎えられるのだから。
終。
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Sex:女
Birth:H7,3,22
Job:学生
Love:小説、漫画、和服、鎖骨、手、僕っ子、日本刀、銃、戦闘、シリアス、友情
Hate:理不尽、非常識、偏見