光の届かない、仄暗い空間。
――― 今の僕はまるで、鳥かごの中の小鳥。
「っは・・・」
壁から伸びる銀の鎖。鎖の先には、翠につけられた手枷と足枷があった。翠の眼の前には鉄の格子。冷たいコンクリートの壁に、翠はもたれかかっていた。
小さく息を吐き、翠は瞳を閉じた。涙も何も出ない。ただ、疲れ切っていた。特に何もされてはいない。この牢屋に、着いた途端に入れられただけだ。
ただし、身体は傷だらけだった。浅い傷ばかりだが、ほんの少し血が滲んでいる。これは、牢屋に入れられるときに抵抗したためだ。こうなることはわかっていたのに、抵抗せずにはいられなかった。
「くっ・・・」
こうなることは、わかっていたのだ――― でも、わかっていたのに、苦しい。
世賭もアリカもいない孤独の世界が、とてつもなく――― 辛い。
「翠さん、申し訳ないけど、“聖”様に連絡する等、準備があるからさ、ここでしばらく待っていて?」
牢屋に入る前、要は冷たい笑みを翠に浮かべてそう言った。
「ひ・・・じり・・・?」
「僕たちが仕えている人の名前だ」
“聖”――― アリカちゃんの敵。
一瞬にして、翠は理解した。ああ、僕は“餌”に選ばれてしまったのか、と。
『――― 孤独は凄く、苦しいものだよ』
要が最後に言い残した言葉が、やけに生々しかった。
(一人は・・・辛い。孤独は、苦しい・・・)
――― あれから、何時間経っただろうか。
時間感覚は、既に失われていた。恐らく、もう夜明けは過ぎているだろう。
(――― ん?)
人の声や馬の蹄らしき音に気がついたのは、しばらく経った後だった。翠がいる牢屋の前は、廊下を挟んで無人の牢屋がある。左右にも牢屋は広がっており、ここは無人の地下牢獄だ。地上にいる人の声や馬の蹄の音が天井を通じて、地下にまで響いているということか。
(微かに・・・金属音もする・・・)
ひどくざわめいていて騒がしい。何かあったのだろうか。
(もしかして・・・アリカちゃん・・・?)
まさか。いくらアリカといえども、ここを探り当てられることなど出来るのだろうか? まだ一日も経っていないはずなのに、こんな短時間で。
(だけど――― もしかすると、)
アリカちゃんならば。
脳裏に、世賭の姿が過ぎった。すぐに、翠は頭を振る。
(・・・世賭は、きっと来ない)
「――― ッ!!」
はっ、と翠は顔を上げた。聞き覚えのある声と共に、馬の蹄の音が近付いて来るのがわかった。
「え・・・?」
(まさか、本当にアリカちゃん・・・?)
「翠――― ッ!!」
自分の名前が聞こえた瞬間、バン、と扉が勢い良く蹴破られ、黒馬に乗ったアリカが翠の牢屋の前へと現れた。
「アリカ・・・ちゃん・・・、」
「待ってて。今助けるから」
軽やかにアリカは馬から降りると、どこで手に入れたのか、鍵をポケットから取り出し牢屋の錠に差し込んだ。
「その、鍵は・・・どこで」
「奪って来たわ。上にいたやつらは全員倒してきた」
見れば、アリカの左手には銃が握られていた。それを見て、翠は僅かに顔をしかめた。
「殺し・・・たんですか・・・?」
「ううん。銃で殴って気を失わせただけ」
翠はほっ、とため息をついた。あれだけ最強と恐れられているぐらいであるから人を殺したことがあるはずだけれど、何故だかアリカには人を殺して欲しくはないのだ。
「もう大丈夫よ、翠」
鎖を外しながら、アリカはにっこりと微笑んだ。その笑顔を見て、翠は思わず瞳を潤ませた。
(なんで僕は孤独だなんて思ったんだろう――― 僕は、一人なんかじゃないのに)
――― もう、僕もアリカちゃんも世賭も・・・孤独ではないのだ。
「有難う・・・アリカちゃん・・・」
「だって約束したでしょ? 私が護るって」
翠はゆっくりと微笑んだ。と、そのとき。
「あーあ・・・台無しだなぁ・・・」
背筋が凍るほど冷たく低い、要の声。いつの間にか牢屋の向こうに、要と棗が立っていた。
「折角上手く行ったかな、って思ったのにさぁ・・・大人しく僕らの部下に捕まれば良かったのに。ほんと、台無しだ」
初めて見た、要の無表情。恐ろしいほど冷徹な、暗黒の表情だった。棗の無表情よりも、恐ろしい。
「来るなんて・・・思って無かったよ・・・」
地の底から響くような、低い声。明らかな、怒り。
「――― 悪いけど」
アリカの声も、幾段か低く聞こえた。
(・・・嫌な、予感が・・・)
「あたしたちの逃亡を邪魔するなら――― 容赦はしない」
嫌な予感は的中していた。以前見た、要のものなど恐れるに足らないほどの暗黒のオーラが、アリカから発せられている。
(これがまさに――― 《暗黒のアリス》・・・)
「お前たち程度のクズ共が、あたしの邪魔をするというのか・・・?」
アリカの影が、揺らめいた。まるでアリカの身体から闇が放出されているかのようだ。
「悪いけど・・・邪魔、させて貰うよ」
刹那、要と棗が、動いた。
「水蓮華!」
要が叫ぶ。蓮を模ったような薄紅色の水がアリカを襲う。だが、アリカには当たらなかった。アリカは勢いよく地を蹴り、いつの間にか手にしていた剣で斬りかかった。
「っ・・・!!」
(いつの間に、剣を・・・? アリカちゃんは、戦いを禁じていたはずなのに・・・ッ)
だが、翠は悟った。アリカはわかっているのだ。自分はもう、戦いを避けられないことに。すぐ眼の前にまで、“聖”との決戦が迫っていることに。
「蒼刃風・・・!」
棗の声と共に、蒼く輝く風の刃がアリカに向かっていく。だがまたもあっさりとかわされ、そして一瞬にしてアリカの姿が消えた。
「!?」
要と棗が慌てて周りを見回す。
「くくっ・・・甘いな、」
仄暗い冷えた空間。その中により一層深い、暗黒の影。
要と棗の背後から、白い腕が伸びた。右手には拳銃、左手には剣。
「アリカ、ちゃん――― っ!!」
翠の言葉でようやく気付いたのか、要と棗は拳銃と剣から避けるようにして動いた。だが―――
「もう遅い」
「ぐ、ああああああッ!!」
要の腹には剣が突き刺さり、棗の左肩に弾丸が撃ち込まれた。二人は血を吐き、同時に膝を地に着ける。
「急所は外れたな・・・」
苦痛に悶える要と棗。それを、まるで喜劇でも見るかのような目つきで眺めるアリカ。普段の姿とはおよそはなれた、《暗黒のアリス》の姿。
(これはアリカちゃんじゃない)
思わず、つつー、と翠の頬に一筋涙が流れた。
「もういい・・・アリカ・・・ちゃん・・・」
「・・・・・・翠・・・?」
「もうやめて・・・下さい・・・十分、ですから・・・っ」
冷えたコンクリートの床に広がる深紅。このまま放って置けば、要も棗も出血多量で死ぬだろう。
「無理なことは、わかっています・・・・・・だけど、アリカちゃんには・・・戦って、欲しくない・・・」
「!」
「アリカちゃんが手を下さなくとも、このまま彼らは死ぬでしょう・・・もしくは“聖”たちが回収する・・・遅かれ早かれ彼らは死ぬんです・・・だから、アリカちゃん・・・もう良いんです、」
しばらく間があった後、アリカは口を開いた。
「ごめんなさい、翠・・・」
その声もその表情も、《暗黒のアリス》とは違う、柔らかい少女のものと戻っていた。
「さあ、帰りましょう・・・」
そのときだった。一人の青年の声が、アリカと翠の耳に届いた。
「アリカ、翠!」
ああ、これは――― 世賭の、声だ。
「何よ、今更来ちゃって・・・遅すぎ」
「ですよね・・・」
翠は苦笑しながら、姿を現した世賭に向かって微笑んだ。
「来てくれて、有難う」
「・・・・・・そんなこと、言われる立場に僕はいない」
すっ、と世賭は翠から視線を外し、倒れている要と棗を見やった。
「僕は何も出来なかった」
「・・・ま、良いんじゃない? それが世賭の選択だったんだし、結局遅れながらも来たんだしね」
嫌味を含みながらも軽い口調でアリカは言い、馬は? と世賭に尋ねた。
「お前が行きに乗っていたやつならもう死んでるぞ」
「ええー!?」
「大丈夫だ、二頭生き残っている馬がいたから連れて来た」
それを聞いて、ほっ、とアリカと翠はため息をついた。
「じゃ、帰ろうか」
「はい」
歩き出した世賭の後にアリカが続いて、翠も立ち上がろうとした――― だが、立てなかった。膝がガクガクして、立ち上がろうとしてもぺたんと尻をついてしまうのだ。無理も無い、一日中鎖で繋がれ動けなかったのだ、身体的疲労のせいでもあるだろう。
「・・・仕方ないな、」
小さくため息をついて、世賭は翠をひょい、と抱えあげるとまた歩き出した。それを見て、アリカがニヤニヤ笑いを浮かべる。
「お熱いねぇ、お二人さん♪」
「五月蝿い」
ふと、翠は視線を感じて顔を上げた。
――― 要と棗だ。
「・・・また会いましょう・・・今度は、貴方たちの大切な“雇い主”も含めて・・・ね」
「・・・・・・っ、」
翠はふっ、と小さく笑った。
――― 三人の影が、牢獄から重なって・・・消えた。
...第六話に続く
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