ただ、深い湖の底に沈むように。
…夢へと、堕ちて行くのだ。
永久的トートロジー
ヒグラシが鳴く森の中存在する、鳥居。
何十、何百、何千、何万と続く、赤い鳥居の道を、一人の少女が歩いていた。
――― 鴉の様な漆黒の髪を揺らし、深紅を纏った少女。
「ここは夢、ね」
夢。現実ではない、いわば誰かの心の中。
世界は幾つもの世界に枝分かれしている。その分岐点であり、中枢世界が夢だ。
そして一人ひとつ、夢が存在する。まるで部屋のように、一人ずつ夢の世界が存在している。ここは、誰かさんの夢の世界。
「They told me you had been to her, And mentioned me to him; She gave me a good character, But said I could not swim.」
口ずさむように、《小さな紅き魔女》は謡った。紅いエプロンドレスが鳥居に当たるのも気にせず、優雅に舞いながら、だが確実に歩み続けている。
「He sent them word I had not gone,」
「随分と機嫌が良いですね、《暗黒のアリス》」
不意に後ろから、自分の二つ名を呼ばれて、少女は謡うのをやめ振り向いた。
そこには、闇を映したような漆黒の髪を持つ少年が立っていた。
「今、貴方に二つ名を呼ばれて機嫌が悪くなったわ」
「それは申し訳ないですね。じゃあ、《下剋上のアリス》? 《最強君主》? 《深紅の魔女》? 《暗黒の女王》? 《血染めのアリス》? 《千年魔術師》? それとも…」
「私の名前はアリカよ。それ以外の何者でもない。それらは下種な人間共が勝手につけたものだし」
「そうですね、その通りだ。下種な人間たちは何もわかっちゃいませんからね。大体、《千年魔術師》は本来俺につけられるべき二つ名です」
「その通りね。単に『魔術師』だけで考えたら、最強なのは貴方だわ――― 黄昏時」
黄昏時と呼ばれた少年は、暗闇の中でさえも妖しく光る碧い瞳をきらめかせ、アリカを見つめた。
次第に弱まっていく落日の光が、最後の力を振り絞るかのように、二人に向かって光を刺す。
「それで、何の用? しばらくぶりだけど。最近、あの家のお嬢さんにご執心らしいじゃない」
「あの子とは、単に俺が近しい距離感を抱く相手なだけですよ。ま、ご執心っちゃご執心かもしれませんけど」
「貴方が近しい距離感を抱くなんて珍しい。いつだってその茨で距離を測り、姿を偽り、細胞ごと相手を騙すくせに」
「否定はしませんよ」
くすくすと、楽しそうに――― だが眼は笑っていない――― 黄昏時は笑った。
それをアリカは不快そうに見て、そしてまた歩き出す。紅いシルクハットを深く被りなおし、ただ”赤”だけを身に纏って。
ヒグラシは鳴き続けている。すっかり日の落ちた暗い森の中、鳥居にぶら下がっている提燈の明かりだけが道を照らす。
「ところで、あんたも俺と向かう先は一緒ですかね?」
「この鳥居の道は夢へと続く一本道。行き先が同じなのは出会った瞬間から判ってたでしょ? 判りきった質問をしないでよ、ウザいから」
「認めたくない判りきった事実だってあるんですよ。大体、あんたは違うかもしれませんが、俺は望んでここに来たわけじゃないんですから。急に夢に堕とされるなんて、たまったもんじゃない」
「私だって望んで来たわけじゃないんだけど。この夢が誰のものかは大体予想がつくけど、それにしたって夢なんて不確定で曖昧で、でも確立された世界に連れて来られるなんて最悪よ」
歩いていくうちに、最後の鳥居が見えてきた。
急にひた、と二人は声も足も止めた。呼吸する事も憚られるくらいの静寂に包まれる。
「――― 着いた」
最後の鳥居の先は――― 暗闇。
*
――― 深海と夢は似ている、と誰かが言った。
「久しぶりだね、」
白い少年と白い少女が向かい合っていた。どちらも白髪で陶器のように白い肌、そして白い服に包まれている。違うのは、瞳の色。
眼に痛いショッキングピンクの瞳と、暗い月光を映したような金色の瞳が、交差する。
「さて、君を殺してもいいかな」
「……皆、わたしを狙うけど。…誰もわたしを殺せない…」
「………はぁ。――― ねぇ、赫夜」
白い少女は赫夜と言う名であるらしい。名前を呼ばれ、小首を傾げた。ちりん、と、金色の簪についた硝子の鈴が鳴る。
「もうじき―――」
少年が口を開きかけた、その瞬間。
遮るように、眼にも留まらぬ速さで何かが赫夜を襲い、捕らえた。
「茨……?」
「やっぱりここはあんたの夢でしたか。今日こそ、殺してやりますよ」
腕から無数の茨を生やし、操っているのは――― 黄昏時。その後ろから、呆れた表情のアリカが姿を見せる。
「黄昏時、血の気多すぎ。カルシウムちゃんと摂ってるの? 少しお話してから殺しあいましょうよ」
「嫌ですね。大嫌いですから」
「……嫌われるのは、慣れてる。……わたしは、《聖女》だから」
「もういいわ。それにしても久しぶりね、雪慈」
白い少年――― 雪慈が、くくっと喉の奥で笑った。いつの間にか服の下―――身体中に巻いている包帯のうち、両腕の包帯を地面に突き刺し、浮いている。
「元・皇帝にして900年近く生きている紅き魔女に、千年以上生きている、史上最高位の魔術師と、全てを操作する聖女……それと、僕か。随分と凄い役者が揃ったものだね」
「足りないわ。ここは夢……そうでしょう? 夢には欠かせない存在が足りない」
「そのとおりだなァ」
不意に、誰のものでもない青年の声がした。
全員が一斉に、同じ場所へ視線を向ける。
そこには、不敵な笑みを浮かべた青年が立っていた。
「《夢喰い》……」
茨に拘束されたままの赫夜が呟く。
「おいおい、今日は聖女さんを殺す会の集まりかァ? 言っとくが、俺は別に聖女にゃ興味ねェ」
「ちょっと。あんた、時雨のほうですね? 夢を操るのは夜のほうでしょう。どうしてあんたが、」
「俺は、今日は喰らいに来たんだ。大体、夜だろうと俺だろうと《夢喰い》は《夢喰い》だぜ。夢を司ってる事には変わりねェんだ、俺だって夢を操れないわけじゃねェ」
夢を自由に行き来し、誰の夢の世界にも自由に入る事が出来、そして夢を喰らい夢を操る存在――― 《夢喰い》。
いよいよ、5人も人から外れた者たちが集まった。
「誰の計らいだ? 俺を含めて全員、黒幕にふさわしい奴ばっかじゃねェか」
「どうせこいつでしょう。判りきってる事です。自分を殺したい奴を集めて莫迦にする悪趣味をお持ちなんですよ」
「……否定はしない。殺せるなら殺してみて。………出来ないだろうけど」
――― 刹那。
先端の尖った純白の包帯が、赫夜の胸に突き刺さった。ずぷっ、という音と共に、大量の血が滝のように流れ落ち始める。
続けて、銃声。黒い拳銃から放たれた弾丸が、額の中心を突き抜けた。
「っ、がは…ッ」
容赦なく、茨がぐちゃぐちゃと傷を抉る。とめどなく血が滴り落ち、全員が顔を顰めた。
「気持ち悪い」
白い包帯と茨から解放され、支えるものをなくした赫夜の身体は血塗れの床に倒れ伏した。
それを待っていたかのように、雪慈は幾多の鋭い包帯が赫夜の身体を突き刺した。
「あァァぁぁぁああああぁぁぁああぁぁッ!?」
焦げた匂い。魔術師である黄昏時から放たれた炎が、赫夜を焦がし劈くような悲鳴を上げさせた。
「ざまぁないですね。無様だ」
「滑稽な姿だね」
「あ、あ、あ、あ、ぁぁぁああああぁあぁぁああああ!!!!」
「煩いですよ。少し黙って下さい―――」
黄昏時の瞳が、じわりと金色に光った。そして――― 少年であったはずのその姿が、一瞬にしてチェーンソーへと変わっていた。
「ふうん」
シルクハットが落ちないように押さえながら、アリカがチェーンソーを拾い上げ、構える。それを視線で追っていた赫夜の瞳が、恐怖に見開かれた。
「あ、あ―――」
「どーん」
けたたましい音を鳴り響かせているチェーンソーが、少女の柔らかな肉を突き破り抉りぐちゃぐちゃに掻き乱して行く。血と肉片が飛び散り、どんどんと紅く染まっていった。
「あ、が、ががががぁぁあああぁあが、がはっぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
大量に血を噴き出しながら、骨が砕かれていく。最早、顔以外は原型をとどめていなかった。
「煩いよ、赫夜。少し黙って」
ぐちゃ、と。包帯の先端が、赫夜の喉を突き刺した。
「っひ――― !?」
少女の悲鳴と共に、チェーンソーの音も鳴り止んだ。
赫夜の白は全て血の色に染まり、肉片は原型をとどめておらず、紅く染まった骨は粉々に砕かれ、臓器は全てぐちゃぐちゃに掻き乱され、ハラワタは赤黒く光っていた。
金色の瞳は虚空を見つめ、ひゅーひゅーと喉の奥が耳障りな音を奏でている。
「――― ほんと、無様ですね」
いつの間にか、チェーンソーからいつもの少年の姿に戻った黄昏時が、蔑んだ目付きでそれらを見ていた。
「気は済んだみてェだな」
終始黙ったままで、ただ何もせず血の届かない範囲に退散していた時雨が、ようやく口を開いた。赫夜に手をかけた三人が、時雨のほうを見つめる。
「この悪夢も、これにてお開き。美味しく俺が頂いてやるよ」
「そ。じゃあ、僕はお先に帰らせて貰うね。もうここには用はないし」
さよならの一言も告げず、雪慈は無数の包帯を羽のように広げ、一気にどこかへ消え去った。
「じゃ、俺も。もうこの女には逢いたくないものですね」
「私もよ。願い下げだわ」
続けて黄昏時、アリカも夢から消えた。
残ったのは、《夢喰い》と赫夜の肉片。
「――― 頂きます」
一瞬、ほんの一瞬だけ…歪んだ。ただ、それだけだった。
「……いつまで寝てる? ここは夢だ、夢ン中でも寝てるンじゃねェよ」
「……寝てるわけじゃない…起きれないんだから、しょうがない」
「ちっ、うぜェな。もう悪夢は俺が喰ったンだ。動けるだろうが」
むくり、と。
ぐちゃぐちゃであるはずの身体が、起き上がった。全ての肉片ごと、全ての血液ごと、文字通り――― 立ち上がった。
「ほんと、どうやってんだァ? それ」
「…全てを”操作”できるだけの事。ただ、それだけ」
「相変わらず、意味不明だなァ。その”操作”の定義がわからねェ」
「定義は、全部。全て。…そのままの意味」
肉片は血液と合体し、赫夜の言うところの”操作”により――― 元に、戻った。そう、文字通り…そのままの意味で。
「あいつらも戻る事がわかってて、よくやるぜ。あんなぐっちゃぐちゃに赫夜の身体を痛めつけようと、結局は元に戻るンだ。意味ねェのになァ」
「…さあ。でも痛みはあるから、楽しいんだと思う。……痛かった、凄く。物凄く」
徹底した、無機質な無表情の中に、多少の狂気と恨めしさが浮かんでいた。
完全体となった自分の姿を一瞥してから、赫夜は夢の出口へと足を向ける。
「…もう、疲れた。それじゃ、またね…時雨」
「あァ」
ふ、と。夢に堕ちたときのように、一瞬にして現実へと戻っていった。
「――― 所詮は夢だ。人格が存在し反映されたとしても、夢に変わりねェ。だが、同時に夢の定義がない事も確かだ。赫夜は死んだ。アリカと黄昏時と雪慈は殺した。それは事実だ。だが赫夜は死んでないし、アリカと黄昏時と雪慈は殺してねェ。それが、あいつの”操作”したものの一つって事か。…ほんとに定義がわかんねェな」
深いため息を吐き、《夢喰い》は壁にもたれかかった。
夢は、甘美だ。同時に、深い深い奈落の底でもある。どこまでも存在し続け、定義は存在せず、ただそれは底のない深海のようにあり続ける。
そこにあるのは、一体なんなのか。
それは、誰にもわからない。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
Sex:女
Birth:H7,3,22
Job:学生
Love:小説、漫画、和服、鎖骨、手、僕っ子、日本刀、銃、戦闘、シリアス、友情
Hate:理不尽、非常識、偏見