外界の音が聴こえない。音も光も遮断された部屋。
今は何時だろう、と携帯を取り出そうと思ったが、やめた。この雰囲気を壊してしまうような気がしたのだ。
「一巡したな」
樹が呟いた。二十本ほどの蝋燭がまだ灯っている。
「次は零ちゃんだね」
「ああ」
今井さんの言葉に促されるように、零は口を開いた。
「夏婁の話であったように、人間の心理は深くて面白いが、怖いものだよね。人は嫌な事を忘れようとする。痛みは直接脳に行く」
零の眼が、皆を映していく。どこか強張った表情のイチ、期待している様子のヨシュア、少し怖がっている今井さん、ごくりと唾を飲んだ樹、ポーカーフェイスの僕、相変わらず無表情の柏木さん。
「強烈な恐怖やショックといった精神的痛みを受けたとき、人はその記憶を喪失する事があるよね。所謂、記憶喪失。そんな怖い話なんだけど」
何を話すのだろう。零は、一体何を話すつもりなのだろう。
零の眼は、何かを仕出かすつもりであるように昏く光っていた。
「七人の少年少女が、自分たちの中学校でかくれんぼをする事にしたの。理由は憶えていないけど、誰もいなくなった放課後、七人は教師に見つからないようこっそりとかくれんぼをした。
鬼は一人の少女―――仮にAとしよう。Aが一分数えたら、開始。A以外の六人は四方八方に散っていく。
一分数えて、Aは捜し始めた」
情景が浮かぶ。
夕闇が近付く中、仄かに紅く染まった薄暗い校舎を駆ける少女。六人の子供たちを捜して、走っていく。
―――どこかで、その情景を見た事があるような気がした。
「一人ひとり、見つけていく。ようやくAが五人見つけたとき、外は結構薄暗かった。
残り一人だ、ってAは根気よく捜し始めたんだけど、いくら捜しても見つからない。本格的に外が真っ暗になって、六人全員で捜し始めたけれど、残りの一人の女の子、そうだね……Kが、見つからなかった。どんなに捜しても、校舎の隅々まで捜しても、Kがいない」
ぞわり、と鳥肌が立った。
この話を、僕はどこかで聞いた事がある。ただそれだけなのに何故、こんなにも寒気がするのか。
ふと周りを見ると、皆真剣な顔で零の話を聴いていた。何かを考えながら聴いているような、そんな表情だ。
「ところでその中学校には、とある階段の踊り場に大きな鏡があるんだよ。凄く大きな鏡でね、二メートルぐらいはある。Aがその鏡の前を通り過ぎたとき、ふと何かがよぎった」
大鏡。僕らの通っていた捌宮中学校にもあったな、と思い出す。大きすぎるあの鏡はどこか不気味で、怖い噂が絶えなかった。
そんな大鏡に、一体何が映ったというのだろう? 何かがよぎった、そんな光景―――どこかで見た気がした。
「Aは、はっきりと見た。鏡の奥で、消えたKが遠ざかっていくのを。
『Kは鏡に吸い込まれてしまった』
Aはそう思って、鏡に向かってKの名前を呼んだ。何度も呼んで何度も呼んで―――いつの間にか泣きながらKを呼んでいた。そのとき、誰かの悲鳴が聴こえた」
頭がぐわんと揺れた。泣きながら消えた少女の名を呼ぶ鬼。何度も呼んで、何度も呼んで、声が嗄れるほどに呼んで―――突然聴こえる悲鳴。
何故だろう、と僕はぼんやりとした頭で考える。
その光景を、僕は見た事がある。
そういえば、と僕は思った。夕闇迫る校舎の中、かくれんぼをしている七人の少年少女―――この場にいるのも、七人だ。かつて、少年少女だった七人の大人たちだ。
ひゅっ、と誰かが息を吸い込む音が聴こえた。
「悲鳴が聞こえた刹那―――鏡が割れた。Aは呆気にとられて、鏡の前に座り込んだ。『ああ、これでもうあの子は戻って来ない』と、確信した。
座り込んだAの元に、五人が駆け寄ってきた。少年が大丈夫かと声をかけたけれど、Aはそれには答えなかった。ただ一言、『あの子は鏡の世界に行ってしまった』と言って……鏡を指差した。
指差した瞬間、割れた鏡の向こうでKの泣き顔が映って、六人は一斉に悲鳴を上げた」
淡々と喋り続ける零。零以外の皆が、硬直したように身体を強張らせている。
樹もイチも今井さんも眼を見開いて固まっている。ヨシュアと柏木さんは、何か空恐ろしいものを見るかのような眼で零を見つめている。
零の話が脳内でリアルに想像できる。僕は、いや僕たちはこの話を知っている。紛れも無い、この話は―――。
「それから、どうやって家に戻ったのか―――Aも他の子も、誰も憶えていなかった。とにかく、Kが消えてしまった。その事だけは確かにそのとき憶えていた―――。
だけど次の日、Kは何事もなかったかのように学校に来ていた。不可解な気持ちにはなったけれど、言及する気にもなれず、皆黙っていたんだろうね。でも、今でもAは思ってる。戻って来たKは、本当にKなのか。今そこにいるKは、一体誰なのか……って」
零と眼があった。真っ直ぐに見据えるその瞳は、何も映していない。
何の音も聴こえない。張り詰めた静寂だけが空間を包んでいる。
思い出す事を恐れている。人は恐怖の記憶を封印してしまう。傷つく事に怯えている。
「ねぇ、本当に思い出せないの?」
零の言葉が突き刺さる。
「何を言っ―――」
「あの日、私たちは捌宮小学校を卒業した。あの日、私たちは捌宮中学校に入学した。あの日、私たちはかくれんぼをした」
樹の言葉を遮るように、零は語り続けた。蝋燭の炎が隙間風に揺らめいている。
「私が鬼だった。皆見つけていくのに、君だけが見つからなかった、柏木さん。薄暗い校舎の中を私は駆け回ったけれど、君はどこにもいなかった。あの日、君は確かに鏡の中へ消えた」
情景が浮かぶ。
七人で集まったあの日。じゃんけんをして、零が鬼になった。僕らは蜘蛛の子を散らすように四方八方へ隠れて、鬼を待ち続けた。一人また一人、そわそわと影に隠れて、見つかって―――。
一人の少女だけが見つからなかった。まるで校舎を覆う影に呑みこまれたように、彼女は消えた。
大鏡の前で泣いている零。ひたすら消えた少女の名を呼び続けた僕ら。
少女は―――柏木さんは鏡の奥で、泣き顔を見せて消えた。
―――全部、本当は憶えていた。ただ、忘れ去りたい影に追いやってしまっただけ。零だけが、それを背負ったのだ。
「柏木さん、私たちが君を誘ったのは、何てことはない―――たまたま君が一人でいたからだよ。かくれんぼは大人数の方が面白いってヨシュアが言ったから、君を私と夏婁が誘ったんだ。なのに君は鏡の影へ消えてしまって―――責任感と恐怖に苛まれて、幼い私たちは忘れようとしたんだね、君の事を」
でも君は戻って来た、と零は言った。
「ねぇ、君は本当に柏木帷なのか? 私はずっと思っていた。私はそれが知りたくて、君たちが忘れてしまったから、私だけが憶えているから、私はずっとずっと疑っていたんだよ。
ねぇ―――君は、本物の柏木帷?」
強張った皆の視線が、柏木さんに向けられた。柏木さんは怯えた眼で、唇を舐めて、口を開いた―――
―――急に、全ての蝋燭が消えた。誰かの悲鳴と、何かの影。
鳴り止まぬ悲鳴は絶叫へと変わった。脳内で鏡の影に見た少女の顔が点滅している。あぁ、この子は一体誰なんだろう。
――――――それからの事は、よく憶えていない。
..終に続く
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