第参話...隔岸観火
「遅いな・・・・・・」
翠は誰に言うでもなく、そう呟いた。
翠の入浴時間は大体二十分程度だった。それから一時間が経過したが、散歩に行った世賭は帰って来ていない。
(探すべきか、否か)
嫌な予感がしていた。それは不安、でもあったが。
(僕の知らない、僕と出逢う以前の世賭に、関係していることが――― 起きている気がする)
そう思うだけで、吐き気がした。
――― 僕は知りたくないんです、以前の世賭のことなんか。嫌なんです、怖いんです。
「はぁ・・・・・・」
(僕は何も知らない。世賭のことは何も)
仕方が無い。世賭の為ならば、たとえ知りたくなかろうと知るしかないのだ。どんなに恐ろしかろうと、仕方が無い。
だが、結局は自分の為でしかないのも、わかっていた。
翠は剣を持って部屋を出た。長い長い廊下を歩き、宿を出る。
「肌寒い・・・・・・」
世賭はどこまで散歩に行ったのだろうか。中央部まで足を伸ばしたという可能性もある。
「――― 北部」
北部は政府や小組織が管理しているビルが立ち並んで、近代的かつ都会的・・・・・・いかにも世賭が惹かれそうだった。
「北部に、行ったんだ」
――― 世賭・・・・・・!
それは、緩やかな心の叫び。
*
四月二十二日、八時四十六分。
「着いた・・・」
翠は静かにため息をついた。とん、と高層ビルの一つに背を預け、眼を閉じる。
と、そのとき。人の気配がした。即座に剣を抜き、身構える。
「!」
「やりィ、四大名家凍城家の生き残り――― 凍城翠はっけーん」
眼の前に、見知らぬ少女が立っていた。
「何故、それを・・・・・・」
「驚いてるの? まあ、当たり前よね。でもあたしの名前を聞いたらもっと驚くだろうね」
緑色の瞳を細めて、少女はにこやかに微笑んでいる。
「あたしの名前は睦月理世。四大名家の一つ、睦月家の次期当主」
翠の瞳が、大きく見開かれた。
――― 四大名家。国家機密に指定され、政府でもほんの一部しか知らないと言われている四つの名家のことだ。
それぞれはそれぞれを支配しようと長く争っており、そして政府派と反政府派に分かれている。また、鎖月家、凍城家、睦月家、黒宮家の総称だ。
だが現在は、凍城は壊滅し、睦月は裏社会からは降り、極道の家と成り下がっているため、その争いもほぼ休戦中だ。
――― 翠がかつて、恨み、愛し、捨てて、壊した凍城家は、反政府派で四大名家の一つだった。
「そんな怖い顔しないでよ、凍城翠。何もしたりしないわ。ただね、協力してほしいだけだから」
――― 鎖月聖を殺すために。
*
鎖月世賭は、ふらふらとした足取りで宿に着いた。まだ、さきほどのショックが収まりきれていない。ぐわんぐわんと、頭痛がする。
「――― 何故、聖がここに」
「逃げてきたんだよ。助けてくれた使用人がいてね」
「逃げてきた・・・・・・? 鎖月家から?」
「お前だってそうだろ、世賭。鎖月家に従って殺しをやるのが怖くなったから逃げ出した」
「っ・・・・・・!」
「人間の脳は面白い。自己を護るために、自己にとって害だと判断された記憶は排除しようとする。私にとってお前という記憶は、害と判断された。だから最近まで、すっかりお前の存在なんて忘れていたよ。
だけど今同居している女が情報屋でね。抜け落ちているパーツを大体、埋めてくれた。その代わり、私が知っている限りの四大名家、及び鎖月家や私についての情報を提供している」
「僕が・・・壱之町に来たことを知って・・・・・・・逢いに来たのか?」
「別にそういうわけじゃないけどね。まあ、逢って見たかったのは確かだ」
――― 戦ってみたい。ただ、それだけ。
「な・・・・・・・!」
「修羅の瞳を左眼に宿し鎮静しているお前が、どの程度なのか――― 知りたい気がしないでもないだけだ」
「どう、して・・・・・・」
「所詮、私もお前も鎖月家の人間だ。鎖月の血には抗えない。今度は刃を交えよう」
そう言って、聖は去っていった。
あの“違和感”は、聖のことを予感していたのだ。約半年前、アリカと戦った敵の名前は、黒木聖。そして今日――― 四月二十二日は、聖の誕生日だ。
これだけでは終わらない、と・・・世賭の脳内で誰かが叫んでいる。
『終わらない、これだけでは。四大名家が関わりだす。これだけでは、決して終わらせやしない』
頭痛が治まらない、足元がおぼつかない。世賭は無我夢中に部屋を開けて中に入った。
刹那。―――すっ、と何かが冷めていくのを感じた。
「・・・翠?」
――― 翠が、どこにもいなかった。
...第肆話に続く
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