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せんそうとへいわ
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第七話

 



 気がつくと、冷えた灰色の床の上に立っていた。灰色ではあるが、絢爛な螺旋階段の踊り場。


 巨大な窓の外は、見たこともない風景が広がっており、しんしんと雪が降り積もっていた。


「灰色のお屋敷みたいですね」


 ぼんやりと、翠が呟く。その横には、眉を顰めた世賭の姿がある。要と棗は、どこにもいなかった。


「あいつらが好きそうな雰囲気だわ」


 物音一つしない、灰色の屋敷。とりあえずアリカは、上へと続く階段へと足を進める。


――― ここが最上階みたい」


 くらくらと眼がまわりそうなほど上り、ようやくついた最上階の踊り場に、先ほどの窓よりも大きな灰色の扉があった。


 思わず手をひっこめてしまいそうなくらいに冷たい扉のノブを掴み、アリカは勢いよく開け放つ。


「ようこそ、アリス」


 低く、澄んだ美しい声が響き渡った。だだっ広く無機質な、灰色の絢爛な部屋。


 その最奥に、玉座のような椅子に座った人影があった。そのまわりを囲むように、三人の男、そして要と棗が立っている。


「久しぶりだね、黒木聖」


 座っている者に向かって、アリカは呼びかける。銀色の髪を結い上げ一つに結んでいる女が、数歩アリカたちのほうに向かって歩み寄った。


「あいつが、“聖”の・・・頂点」


「女性だったんですね」


 黒木聖と呼ばれた女は、薄い笑みを浮かべてアリカたちを見やる。


「ああ、久しぶりだな、アリス・・・我国ただ一人の《絶対権力者》、皇帝」


「皇帝・・・!?」


 世賭と翠は眼を丸くした。そんな、この紅き少女が皇帝・・・?


「くくっ・・・仲間だというのに、何も教えていないのだな? アリス」


黙れ


 底冷えするような、低くどす黒いオーラを帯びた声が、アリカから発せられる。


 深紅の瞳がより一層深く、紅く光り、黒木聖を突き刺すように見据える。


「変わらんな、アリス・・・その眼。戦乱を誰よりも好み、愛し、勝手に始まらせ勝手に終わらせるその眼。戦乱を望む、その眼」


「望んでなんかいない。私は変わった」


「いいや、何も変わっていない。あのときのまま・・・昔と変わらずお前は、貴女は、その姿のまま・・・。歳をとらず、ただ永遠ともいえる日々を過ごすだけの《暗黒の女王(ダーカーオブクイーン)》」


 くっ、とアリカは下唇を噛み、黒木聖を睨み付ける。


「どういうことだ・・・?」


「歳を・・・とらない・・・?」


 世賭と翠の呟きを聞いて、黒木聖はにやりと笑う。


「はは、私が話してやろう・・・昔々の御伽噺をね」


 ――― 私とアリスの過去を。



 「十年も前のこと・・・私とこの三人――― 白四季(はくしき)風里(かざり)矢鬼(やき)神前(かみまえ)(よう)は“夜狼(やろう)”の幹部だった。国を守る特別自警団、“夜狼”。


 私は強かった。だから許せなかった。どうしてアリスが皇帝になれて私はなれない? 同じ女で、強くて、だというのにどうして――― 憎かった、大嫌いだった、だから私は戦いを申し込みそしてそこで自我を外してしまった。


 だが私は勝てなかった。憎しみと怒り、嫉妬を胸に、私は今度こそ皇帝の座を奪うために――― 下剋上を起こすために、私は――― “聖”という組織を創った」


 黒木聖はニタァ、と笑みを浮かべると、言い放った。


「私は知った――― アリスはバケモノだと!! 1865年に生まれ、14歳で彼女の時は止まった! 九百年もの時が経ったというのに、まだ生きている、まだ幼い姿のまま――― 生きて生きて生き続け、約五百年も皇帝の座に居座り続けた!! 今もなお、皇帝の座はお前の物のまま――― 今こそ・・・今こそ私がその座に座る!


 ――― 九百年がどれだけ長かったことか・・・そのうちの約半分の時間を皇帝として生きてきたなど、許されない行為・・・!


 どうしてお前は生きているのだ、アリス? お前はどうして死なない?」


「私は・・・殺されるまで、死ねない」


「ならば私が殺してやろう。今、この瞬間――― 戦乱は始まった」


 それを聞いて、即座に世賭と翠がアリカの前に出た。アリカの瞳がほんの少し、見開かれる。


「世賭、翠・・・」


「アリカの過去なんて関係ない。僕たちも、アリカを守るから」


「そうですよ。アリカちゃんの正体なんて関係ないんです。仲間だということに変わりはありませんから」


 すっ、と棗が、その言葉に釣られるように前へ出た。


「棗・・・?」


 要の訝しげな声が響く。


「悪いけど・・・俺はこっちに移る」


「な・・・ッ!?」


 世賭、翠、要の驚きの声が上がる。


「ど、どうして・・・棗、何で・・・」


――― 要と俺は、違うから(・・・・)


 棗の右手に、黒い風の塊が纏われる。それは、棗の強い意思の表れだった。


「まあ良いだろう。双子同士の戦い・・・くくっ、面白いじゃないか?」


 アリカの鋭い視線が、黒木聖に突き刺さる。それを察知して、後ろの三人が身構えたのがわかった。


――― 始めましょう、黒木聖」


 ――― 刹那。一瞬にして、全員が動いた。


「くっ・・・」


 交わる刀と刀。キィィィィン、という鋭い音が響いた。世賭の刀と矢鬼の刀が出しているものだ。


「ふん、やるな・・・」


「かの有名な“夜狼”の幹部もこんなものか。現役から月日が経って、腕が落ちたのか?」


「・・・ちっ、」


 挑発するような世賭の言葉に、矢鬼は舌打ちだけ返して刀を持つ手に力を込める。


 壮絶な鍔迫り合いを繰り広げながら睨み合う世賭と矢鬼。一方、翠と遥は薄い微笑を浮かべて対面していた。


「皇帝――― アリスとは、どこで知り合ったわけ?」


「知っているくせに、そんなどうでもいい雑談をわざわざするなんて、随分と余裕があるんですね? 神前さん」


 薄い微笑。その中にはどす黒いオーラが渦巻いている。


「知ってるよ? 勿論。ザコに襲われているところを助けたんでしょ? あの戦闘狂のアリスが、戦うことを禁じていたなんて、ほんと馬鹿馬鹿しい話だよね。


 アリスは戦闘狂で争いごとが大好きな輩だった。その割には、戦争には絶対に出ない。ただ、見ているだけの傍観者。自分が傷つくのが嫌で、見ているだけなんてほんと、卑怯な皇帝だ」


「・・・何も貴方はわかっていない」


 流れるような動きで翠は剣を抜き、斬りかかる。


「・・・ふん、」


 耳を劈くような鋭い金属音。遥の剣が翠の剣を受け止めている。


「貴方にアリカちゃんの何がわかると言うのですか? アリカちゃんは傍観者でも卑怯者でもない。ただ仲間を愛し、仲間を護る、優しい女の子です」


 怒りに燃えた翠の眼を、遥は卑屈な笑みを浮かべながら見つめる。


「・・・そりゃあ、どうだかね」

 


 ――― その最中にも、要の叫び声が紛れている。


「棗――― ッ!! どうして・・・っ」


「さっきも言った。俺と要は違う・・・いつかは戦わなくちゃいけなかったんだ、要」


「そんなことはない・・・! 僕と棗は一緒だ、戦う理由なんてどこにもないッ」


「何度も言わせるなよ。俺と要は違う(・・・・・・)


 いつもと変わらぬポーカーフェイスなのに、今はどこか空々しく、そして冷たく見える棗の顔。自分と同じはずのその顔が、棗の言うとおり違うものに見える。


藍彗波(あいけいは)!!」


 要の声と共に、藍色の光を纏った渦潮が棗を襲う。


「絶対に取り戻す・・・絶対に・・・ッ!」


 憎しみのこもった表情を浮かべて、要は渦を操り続ける。


「僕から棗を取りやがって・・・絶対に許さない・・・ッ! 僕らはずっと一緒だ・・・!!!」


黒彗風(こくすいふう)・・・ッ」


 黒く細い、彗星のような風が、渦潮を撒き散らす。撒き散らされて水蒸気のようになった渦潮の中から、冷めた瞳の棗が姿を現す。


「双子のお前の技が、急所をつくはず無いだろ・・・全て、お見通しだ」


斬水波(ざんすいは)ッ!」


風斬舞(かざきりまい)・・・」


 水の刃と風の刃が両方を襲い、衝撃を与える。己の躯に滲む血を、要と棗は拭った。


「所詮、僕らは双子なんだ――― 双子という名の鎖から、逃れることなんて出来ないんだよ」


「俺の言っていることを理解していないんだな。俺はもう、その鎖を引き千切りたい。俺は、お前を別の人間として―――


「そんなの、無理なんだよ」


 ――― 僕と棗は二人で一つ。二人で一つだから友情も愛情もあり続けるんだよ。


 くっ、と棗は下唇を噛み、右手を前に突き出す。


「もう、終わりにしよう要・・・」


「君を殺して君を取り戻す、棗」


 走る要。棗はすっ、と瞳を閉じた。


――― 風斬舞(かざきりまい)


斬水波(ざんすいは)ッ!!!」


 鋭い風と水の刃。そして――― 紅い紅い、血。


「が・・・ぁぁッ」


「ぐ、は・・・ぁッ」


 二人の躯が重なり刃に切り裂かれ、血に塗れた灰色の床に倒れ臥す。


「かな、め・・・、」


 途切れ途切れの棗の声が、要の耳に届く。


「俺は・・・鎖、を・・・引き千切ってでも、要と・・・戦ってでも・・・、別の人間、として・・・接したかった・・・」


 要の黒い瞳が見開かれる。


「双子として、ではなくて・・・別の、人間として・・・仲の良い、血縁で・・・いたかった、んだ・・・、別の、人間として・・・要を、好きで・・・いたか、・・・ッ」


「棗・・・・・・ッ、」


 ――― 呼吸が途絶える。二人の眼は細められ、そして・・・、



――――――― 二人は、最期を迎えた。



後編に続く...


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第六話

 


 「――― 本当に、御免」


「何度目よ? 世賭」


「もういいよ」


 要と棗の件があったその次の日。未だに謝り続ける世賭を苦笑混じりで見つめながら、翠はぽつりと呟いた。


「やっぱり僕は、“聖”たちに操られたんですよね」


「まあ、そうでしょう。私をおびき寄せるための」


 上手く事が運べば、アリカにそれなりの怪我を負わせ“聖”たちのところへ連れて行きたかったといったところだろう。それが恐らく要と棗に課せられた任務だったに違いない。


「要も棗も、今頃どうしているだろうな」


「死んでいるか、新たな任務を与えられているかのどっちかじゃない? 私的には後者が有力かな」


 翠が作ったクッキーを頬張りながら、アリカは言った。


「最初は殺されちゃうだろうなって思ってたけど、たぶんそれはもうないかも。そろそろ本命にはしっても可笑しくない頃でしょ? ていうか、私自身そのつもりなんだけど。こんなときに、強力な味方を減らすほど“聖”らは莫迦じゃないと思うんだ」


 ――― “聖”。


 世賭の中で、何かが引っかかる。それはアリカと“聖”に何があったのか、どんな関係なのか、どうして関わったのか、アリカは何者なのか――― そして、“()という名前そのものに(・・・・・・・・・・)



(
・・・名前?)


 何故、今自分は“聖”という名前に引っかかったのだろう? ――― 否、違う。


(
いや、今だけじゃない・・・ずっと、もっと前からだ・・・)


 世賭の思考を遮るように、アリカが口を開いた。


「ごめん、関わらせたくは無かった――― だけど、こんなことになっちゃって、」


「良いんですよ。僕らは・・・仲間、なんですから」


 翠の言葉に、ふっ、とアリカが笑みを漏らす。


――― アリカ、」


「・・・」


 真紅の瞳が世賭を見つめる。


「・・・いや、何でもない。とにかく・・・死ぬなよ」


「・・・そうね。世賭も、翠もね」


 ――― 始まってしまう、戦乱が。皇帝への下剋上が。



 「・・・“蜜鏡”」


――― 申し訳ありませんでした」


「・・・任務、失敗しました・・・」


 暗がりに浮かぶ、玉座に腰掛けているような姿の人影。その人影に向かって、要と棗は頭を垂れていた。


 任務には失敗した。自分たちは一体、どうなってしまうのだろうか。恐怖に、床に向けた顔が歪む。


「本当に、申し訳ありません――― 黒木聖様(・・・・)


 ――― 黒木聖。要の口から出た、“聖”の頂点に立つ者の名前。


「まあ、良い。今回で、アリスにも他二人にも、私たちの意志は伝わっただろう。戦乱のパーティーの準備は、もう既に完了していることだしな。


 
――― 新たな任務を与える。三人をここに招待しろ。それで今回のことは免除だ」


「っ・・・! 有難う御座います、黒木様」


「・・・すぐに向かいます」


「・・・早く行け」


「はい」


 瞬間、要と棗の姿が消えた。そしてタイミングを計ったかのように、一人の男の人影が黒木聖の真横に現れる。


「珍しく優しいんだな」


「・・・無駄口叩いている暇があったら、パーティーの準備でもしておけ」


「・・・・・・パーティー、ねぇ・・・」


 黒木聖は笑う。心底楽しそうな笑みを貼り付けて、笑う。

 

 ――― いよいよ感動の再会、そして感動の最期だぞ・・・アリス・・・!


 
 静かにアリカは顔を上げる。窓から見える夜空には、月も星も無く、永遠とダークブルーの空が広がっていた。


「・・・黒木聖・・・」


 いつだって他人行儀にそう呼んだ。アリカにとって、あんな程度の存在(・・・・・・・・)は、味方はおろか敵とも呼ぶほどの存在ではなかった。なんてことはない、そこらへんに転がる石ころのような存在。虫けらのような、余計な部下(・・・・・)


(
だけど、)


 黒木聖は、本当はそんな程度の人間ではなかったのだろう。綺麗で、純粋で、強い存在だったのだろう。


(
今となっては、ただの敵だけれど(・・・・・・・・))


 今となっては。黒木聖にかつての綺麗さも純粋さも強さも、無いのだろう。それが、哀しくてたまらなかった。


「黒木聖・・・」


 ――― 昔は私が“悪”だった。昔は貴方が“善”だった。どこから変わってしまったのだろう。どうして変わってしまったのだろう。


「待っていて、黒木聖――― 私が必ず迎えに行く」


 かつての、黒木聖の姿を思い浮かべながら。


 アリカは無表情で、夜空を見上げ続けた。



 アリカが銃を左足の太腿にあるホルスターに二丁、入れたのを見た。そして、ひっそりと使い込まれた剣が置いてあるのも。


 世賭はじっ、とソファに座っていた。瞑想や座禅でもしていそうな雰囲気を漂わせて、アリカの剣を見つめる。


(
――― 始まるのか)


 あの戦闘準備。何より、アリカの表情。何も映していないような、空虚な無表情。


(
“聖”たちとの戦闘が)


 神経が過敏になっているのがわかる。戦闘の前は、いつもこうだ。


「世賭?」


 不意に呼びかけられて、世賭は思わず瞬きを数回した。訝しげな声を出しておきながら無表情は変わらないアリカの顔が、世賭を覗き込んでいる。


「始まるのか?」


――― そうね」


 変に誤魔化さないところが、アリカの良いところだ。


「翠は?」


「もう随分前に起きて、今は本でも読んでいると思うが」


 そう、とアリカは呟き、ソファにどかりと座る。


――― 魔術の気配がする。この魔力は要と棗のもの」


「要と棗・・・?」


「お迎えじゃないの? “聖”も良い演出するわよね」


 皮肉めいた笑みを浮かべて、アリカが言う。


「・・・戦う覚悟は、ある?」


「当たり前だ」


 世賭の即答を聞いて、アリカはクスリと笑みを漏らす。


「世賭がそうなら、きっと翠も同じ気持ちだね」


 すっ、と笑みが消え、憂いを帯びた表情へと変わる。


――― 全て、私から始まったんだ」


「え?」


「・・・ううん、何でもない」


 ――― 始まりは、全て少女(アリカ)


 その言葉が意味するものが何なのか、世賭にはわからなかった。



 ――― わかったときにはもう、全ては終わってしまっていたのだけれど(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)



 翠はそっと扉を開けた。世賭とアリカが喋っている。


「世―――


 世賭、と呼びかけようとした瞬間、部屋全体が眼を開けられないほどの光に包まれ、翠は「うっ」と呻いた。


――― お久しぶりです」


 聞き覚えのある声が響き渡り、光がすっ、と部屋の中心に吸い込まれるようにして、消えた。


「な・・・っ!」


 ――― 光が集まったところに、要と棗の姿があった。


「翠、」


 アリカが翠の姿を見つめ、声をかける。


「アリカちゃん・・・」


 アリカの手に剣があるのを見て、翠は一瞬で察した。要と棗が現れたのは、“聖”たちとの戦乱のお迎えに来たからなのだと。


 思わずぎゅっ、と愛剣を翠は握り締め、世賭の隣へ移動した。


「お迎えに上がりました」


「わかってるわ」


 要の口の端が、ゆるりと上がる。


「それでは、」


 またも、光。今度は脳髄にまで届くような、眩んでしまうぐらいの光。


「参りましょう」


 ――― がらんとした部屋。その家には、五人の姿はもう無かった。



...第七話に続く
 

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第五話



光の届かない、仄暗い空間。


 ――― 今の僕はまるで、鳥かごの中の小鳥。


「っは・・・」


 壁から伸びる銀の鎖。鎖の先には、翠につけられた手枷と足枷があった。翠の眼の前には鉄の格子。冷たいコンクリートの壁に、翠はもたれかかっていた。


 小さく息を吐き、翠は瞳を閉じた。涙も何も出ない。ただ、疲れ切っていた。特に何もされてはいない。この牢屋に、着いた途端に入れられただけだ。


 ただし、身体は傷だらけだった。浅い傷ばかりだが、ほんの少し血が滲んでいる。これは、牢屋に入れられるときに抵抗したためだ。こうなることはわかっていたのに、抵抗せずにはいられなかった。


「くっ・・・」


 こうなることは、わかっていたのだ――― でも、わかっていたのに、苦しい。


 世賭もアリカもいない孤独の世界が、とてつもなく――― 辛い。


「翠さん、申し訳ないけど、“聖”様に連絡する等、準備があるからさ、ここでしばらく待っていて?」


 牢屋に入る前、要は冷たい笑みを翠に浮かべてそう言った。


「ひ・・・じり・・・?」


「僕たちが仕えている人の名前だ」


 “聖”――― アリカちゃんの敵。


 一瞬にして、翠は理解した。ああ、僕は“餌”に選ばれてしまったのか、と。


 『――― 孤独(ひとり)は凄く、苦しいものだよ』


 要が最後に言い残した言葉が、やけに生々しかった。


(
一人は・・・辛い。孤独は、苦しい・・・)



 ――― あれから、何時間経っただろうか。


 時間感覚は、既に失われていた。恐らく、もう夜明けは過ぎているだろう。


(
――― ん?)


 人の声や馬の蹄らしき音に気がついたのは、しばらく経った後だった。翠がいる牢屋の前は、廊下を挟んで無人の牢屋がある。左右にも牢屋は広がっており、ここは無人の地下牢獄だ。地上にいる人の声や馬の蹄の音が天井を通じて、地下にまで響いているということか。


(
微かに・・・金属音もする・・・)


 ひどくざわめいていて騒がしい。何かあったのだろうか。


(
もしかして・・・アリカちゃん・・・?)


 まさか。いくらアリカといえども、ここを探り当てられることなど出来るのだろうか? まだ一日も経っていないはずなのに、こんな短時間で。


(
だけど――― もしかすると、)


 アリカちゃんならば。


 脳裏に、世賭の姿が過ぎった。すぐに、翠は頭を振る。


(
・・・世賭は、きっと来ない)


――― ッ!!」


 はっ、と翠は顔を上げた。聞き覚えのある声と共に、馬の蹄の音が近付いて来るのがわかった。


「え・・・?」


(
まさか、本当にアリカちゃん・・・?)


「翠――― ッ!!」


 自分の名前が聞こえた瞬間、バン、と扉が勢い良く蹴破られ、黒馬に乗ったアリカが翠の牢屋の前へと現れた。


「アリカ・・・ちゃん・・・、」


「待ってて。今助けるから」


 軽やかにアリカは馬から降りると、どこで手に入れたのか、鍵をポケットから取り出し牢屋の錠に差し込んだ。


「その、鍵は・・・どこで」


「奪って来たわ。上にいたやつらは全員倒してきた」


 見れば、アリカの左手には銃が握られていた。それを見て、翠は僅かに顔をしかめた。


「殺し・・・たんですか・・・?」


「ううん。銃で殴って気を失わせただけ」


 翠はほっ、とため息をついた。あれだけ最強と恐れられているぐらいであるから人を殺したことがあるはずだけれど、何故だかアリカには人を殺して欲しくはないのだ。


「もう大丈夫よ、翠」


 鎖を外しながら、アリカはにっこりと微笑んだ。その笑顔を見て、翠は思わず瞳を潤ませた。


(
なんで僕は孤独だなんて思ったんだろう――― 僕は、一人なんかじゃないのに)


 ――― もう、僕もアリカちゃんも世賭も・・・孤独(ひとり)ではないのだ。


「有難う・・・アリカちゃん・・・」


「だって約束したでしょ? 私が護るって」


 翠はゆっくりと微笑んだ。と、そのとき。


「あーあ・・・台無しだなぁ・・・」


 背筋が凍るほど冷たく低い、要の声。いつの間にか牢屋の向こうに、要と棗が立っていた。


「折角上手く行ったかな、って思ったのにさぁ・・・大人しく僕らの部下に捕まれば良かったのに。ほんと、台無しだ」


 初めて見た、要の無表情。恐ろしいほど冷徹な、暗黒の表情だった。棗の無表情よりも、恐ろしい。


「来るなんて・・・思って無かったよ・・・」


 地の底から響くような、低い声。明らかな、怒り。


――― 悪いけど」


 アリカの声も、幾段か低く聞こえた。


(
・・・嫌な、予感が・・・)


「あたしたちの逃亡を邪魔するなら――― 容赦はしない」


 嫌な予感は的中していた。以前見た、要のものなど恐れるに足らないほどの暗黒のオーラが、アリカから発せられている。


(
これがまさに――― 《暗黒のアリス》・・・)


「お前たち程度のクズ共が、あたしの邪魔をするというのか・・・?」


 アリカの影が、揺らめいた。まるでアリカの身体から闇が放出されているかのようだ。


「悪いけど・・・邪魔、させて貰うよ」


 刹那、要と棗が、動いた。


水蓮華(すいれんか)!」


 要が叫ぶ。蓮を模ったような薄紅色の水がアリカを襲う。だが、アリカには当たらなかった。アリカは勢いよく地を蹴り、いつの間にか手にしていた剣で斬りかかった。


「っ・・・!!」


(
いつの間に、剣を・・・? アリカちゃんは、戦いを禁じていたはずなのに・・・ッ)


 だが、翠は悟った。アリカはわかっているのだ(・・・・・・・・)。自分はもう、戦いを避けられないことに。すぐ眼の前にまで、“聖”との決戦が迫っていることに。


蒼刃風(そうはふう)・・・!」


 棗の声と共に、蒼く輝く風の刃がアリカに向かっていく。だがまたもあっさりとかわされ、そして一瞬にしてアリカの姿が消えた。


「!?」


 要と棗が慌てて周りを見回す。



「くくっ・・・甘いな、」


 
仄暗い冷えた空間。その中により一層深い、暗黒の影。


 要と棗の背後から、白い腕が伸びた。右手には拳銃、左手には剣。


「アリカ、ちゃん――― っ!!」


 
翠の言葉でようやく気付いたのか、要と棗は拳銃と剣から避けるようにして動いた。だが―――


「もう遅い」


「ぐ、ああああああッ!!」


 要の腹には剣が突き刺さり、棗の左肩に弾丸が撃ち込まれた。二人は血を吐き、同時に膝を地に着ける。


「急所は外れたな・・・」


 苦痛に悶える要と棗。それを、まるで喜劇でも見るかのような目つきで眺めるアリカ。普段の姿とはおよそはなれた、《暗黒のアリス(アリカ)の姿


(
これはアリカちゃんじゃない)


 思わず、つつー、と翠の頬に一筋涙が流れた。


「もういい・・・アリカ・・・ちゃん・・・」


「・・・・・・翠・・・?」


「もうやめて・・・下さい・・・十分、ですから・・・っ」


 冷えたコンクリートの床に広がる深紅。このまま放って置けば、要も棗も出血多量で死ぬだろう。


「無理なことは、わかっています・・・・・・だけど、アリカちゃんには・・・戦って、欲しくない・・・」


「!」


「アリカちゃんが手を下さなくとも、このまま彼らは死ぬでしょう・・・もしくは“聖”たちが回収する・・・遅かれ早かれ彼らは死ぬんです・・・だから、アリカちゃん・・・もう良いんです、」


 しばらく間があった後、アリカは口を開いた。


「ごめんなさい、翠・・・」


 その声もその表情も、《暗黒のアリス》とは違う、柔らかい少女(アリカ)のものと戻っていた。


「さあ、帰りましょう・・・」


 そのときだった。一人の青年の声が、アリカと翠の耳に届いた。


「アリカ、翠!」


 ああ、これは――― 世賭の、声だ。


「何よ、今更来ちゃって・・・遅すぎ」


「ですよね・・・」


 翠は苦笑しながら、姿を現した世賭に向かって微笑んだ。


「来てくれて、有難う」


「・・・・・・そんなこと、言われる立場に僕はいない」


 すっ、と世賭は翠から視線を外し、倒れている要と棗を見やった。


「僕は何も出来なかった」


「・・・ま、良いんじゃない? それが世賭の選択だったんだし、結局遅れながらも来たんだしね」


 嫌味を含みながらも軽い口調でアリカは言い、馬は? と世賭に尋ねた。


「お前が行きに乗っていたやつならもう死んでるぞ」


「ええー!?」


「大丈夫だ、二頭生き残っている馬がいたから連れて来た」


 それを聞いて、ほっ、とアリカと翠はため息をついた。


「じゃ、帰ろうか」


「はい」


 歩き出した世賭の後にアリカが続いて、翠も立ち上がろうとした――― だが、立てなかった。膝がガクガクして、立ち上がろうとしてもぺたんと尻をついてしまうのだ。無理も無い、一日中鎖で繋がれ動けなかったのだ、身体的疲労のせいでもあるだろう。


「・・・仕方ないな、」


 小さくため息をついて、世賭は翠をひょい、と抱えあげるとまた歩き出した。それを見て、アリカがニヤニヤ笑いを浮かべる。


「お熱いねぇ、お二人さん♪」


「五月蝿い」


 ふと、翠は視線を感じて顔を上げた。


 ――― 要と棗だ。


「・・・また会いましょう・・・今度は、貴方たちの大切な“雇い主”も含めて・・・ね」


「・・・・・・っ、」


 翠はふっ、と小さく笑った。


 ――― 三人の影が、牢獄から重なって・・・消えた。




...第六話に続く

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第五話

 

「アリカ、」


 要と棗に空いている部屋を貸し、二人が部屋へと行きようやく二人きりになったところで、世賭は口を開いた。


「さっきの続きだ。“聖”っていうのは何だ?」


 本当は、聞かないつもりでいた。だが、今回また“聖”の名が出たことと、翠の件から気を紛らわせたいのもあって、世賭はアリカに聞いた。どうしてか頭の中で引っかかる、“聖”のことを。

 

「・・・敵」

 

「それだけじゃわからない」

 

 本当なら、関わらせたくなかったの。そう、アリカは言った。

 

「私の昔の敵。ううん、今もかな。私のことを気に食わないのか、でもそれ以外の理由がある気がするけど、とにかく私を狙っている組織。

 

その頂点にいる、創始者であり、私を憎んでいる奴の名が『聖』。だから、その組織を“聖”って呼んでいるんだけど。聖は私を狙っていると同時に、《絶対権力者》である皇帝の座を狙っているらしいの」

 

 このまえの黒い奴等、リゼルとリデル、全員“聖”の手下だ、とアリカは言った。

 

「だから、強い奴も“聖”たちは狙う。わかるでしょ? 強い奴らは皆、皇帝になるのに邪魔だもの。きっと、世賭と翠も狙われているわ・・・きっといずれ、私と“聖”たちの戦いに巻き込まれることになる」

 

 アリカの表情は暗く、沈んでいた。

 

「ごめんなさい。私のせいだよね」


「・・・別に、お前のせいじゃない。僕らが勝手にアリカを助けただけだし。それに・・・」


 髪を掻き揚げながら、世賭は紅茶を飲み干した。


「お前は僕らの仲間だ。仲間の敵と戦うのは当然だろう?」


 アリカは驚いた顔で、世賭を見つめた。


「仲間・・・なんて、初めて言われた」


「翠もそう思ってるよ」


(
でも、)


 世賭は思った。


(
もしかすると、翠は・・・)


 誰よりも仲間を大切にする翠。約十年も一緒にいる世賭を選ばないはずがない、だが。


(
なんだか、ひっかかる)


 何かに無理矢理突き動かされているような、操られているような。そんな気がして、ならないのだ。



 「“蜜鏡”たちは上手くやっているようです。このまま行けば、凍城(とうじょう)(すい)を操れるかもしれません」


「あいつらは優秀な魔術師だ。優秀な魔術師は、多少の幻術も使うことが出来る。凍城翠を惑わせるぐらい、容易いだろう」


「そうですね。さて、彼らはこれからどう動いてくれるでしょうかね・・・」



 殺したはずだった。憎き従兄弟たちは全員、この手で殺したのだ。祖父を罵倒し、翠を蔑んだ彼らは、もうこの世にはいない。


「なのにどうして・・・ッ」


 ――― 世賭やアリカではなく、要と棗を選んだほうが良いのだろうか。


 ふ、と翠はそう思った。否、そう思ってしまった。


(
殺したはずの従兄弟たち。その中に彼らは含まれていなかった。だけれど、要も棗も確かに僕の従弟)


 血縁関係があることは、顔を見ればわかる。いや、顔だけではない。彼らが纏う雰囲気や小さな仕草、ちょっとしたことだけれど翠を思わせるものがあるのだ。


(
従弟なのは嘘ではないでしょう。でも、どうやって僕の眼を掻い潜った?)


 翠が殺した従兄弟の中には、翠が逢ったことの無い者もいた。全て、全員、一人残らず、翠は調べ上げて殺したのだ。


 ――― だが、要と棗は翠に気付かれることなく生きている。


「・・・やっぱり、」


 要と棗を選ばないと、いけないのかもしれない。それが、僕の運命(さだめ)であるような、そんな気がする。


「幻術で操られてでもいるんでしょうかね」


 自嘲するかのように、翠は呟いた。


(
まあ、そんなこと在り得ませんけど)


 凍城家は代々、魔術師の血は一切無いといわれており、剣一本で生きてきた家だ。魔術の派生である幻術を、要と棗が使えるはずが無い。


(
・・・それも定かではないかもしれないけれど)


 ふと窓の外を見れば、今にもゆらゆらと揺らめきそうな上弦の月が煌々と輝いていた。今の自分の心を映しているようにも思える。


「全ては僕次第・・・か・・・」


 歪んだ笑みが、零れた。



 朝。世賭はゆっくりとベッドから起き上がり、上着を着てカーテンを開けた。


――― 翠」


 翠ならば自分たちを選んでくれるだろう。そう信じているのに、何故か不安になる。どこかで、翠は要と棗を選んでしまうのではないか、と思ってしまう。


 世賭はカーテンに触れたまま、立ち尽くしていた。


「翠・・・」


 何度、この名を呼んだだろう。一緒にいるときも、一人でいるときも、戦っているときでも、自分はこの名を呼んだ。翠がいつでも自分の傍にいることを、確かめるかのように。だが、もしも翠が、要と棗を選んだら――― もう、この名は呼べない。


 不意に、ノックの音が聞こえた。


「・・・何だ」


 世賭は見るまでも無く、翠だとわかった。気配と雰囲気のそれだけで、なんとなしに。


「どうした」


「世賭・・・」


 困ったような、笑み。だが、どこか歪んだ笑み。そんな笑みを、翠は浮かべていた。


「世賭、僕はどうすればいい?」


「・・・それはお前が決めることだ。僕にはそれを決める権利は無い」


 翠の歪んだ笑みが、更に深いものへと変わった・・・気がした。


「どうして、そんなことを言うの」


「僕には・・・決めるのは、無理だからだ」


 世賭はゆっくりと翠から目線を逸らし、窓を眺めた。上には美しい青空が見えるというのに、下のほうは黒い雲で覆われていた。


「無理なんかじゃない・・・そんなこと、言わないで・・・そうしたら僕は、」


 選んでしまうのか? 要と棗を? 従弟を? 憎き凍城を・・・?


「ごめん」


 翠はそう言うと部屋を出て行った。世賭は、黙って空を見ているしかなかった。



 いつもより早く眼が覚めたアリカは、物音を立てないようにそっと、廊下へと出た。ふと見ると、翠の部屋の扉が空いている。覗いて見れば、部屋は無人だった。


「世賭の部屋でも行ったのかな・・・?」


 翠が要と棗を選ぶとは思えない。すぐさま世賭と自分を選ぶと思っていた・・・それなのに。


「なんで・・・考えさせて、だなんて・・・」


 翠は凍城家を憎んでいる。アリカはそう勘付いていた。凍城家が好きなら、世賭と二人で下剋上の世を放浪している訳が無い。


「どうするのよ・・・翠・・・」


 と、そのときだった。世賭の部屋のほうから人が出て来た。


「翠?」


「アリカちゃん・・・? 珍しいですね、こんな早くに・・・」


 アリカは朝が弱く、いつも昼頃まで起きてこない。その上、寝起きはかなり不機嫌だ。そのアリカがこんな早くに起きているのだから、驚くのも無理は無いだろう。


「あはは、なんか早く眼が覚めちゃって。ま、そういうこともあるよねぇ」


「そうですね・・・」


 アリカはすっと眼を細め、翠を眺めた。どことなく、雰囲気や様子がいつもと違う。苦しげだが、何故か歪み切っているような・・・。


(
どうかしたのかな・・・? これじゃあまるで・・・――― )


「大丈夫・・・?」


「え? 大丈夫ですよ」


 にこっ、と無理矢理いつものような笑いを見せる翠。ますます不安になったアリカは尋ねた。


「なんかあったの? 世賭と・・・」


「そういうわけではありません。全ては僕の問題のせいです」


 即、そう答える翠。やはり何かあったのだろう。


「要と棗のことで、喧嘩でもしたの?」


「喧嘩・・・ではありませんね。どちらかというと・・・心の行き違い、でしょうか」


「翳りが見えるの。翠の心の翳り。どうして翠は迷っているの? 翠にとっての一番は世賭でしょう? どうして世賭を選ばないの?」


「それは、僕にもわからないんです・・・」


 まるで、要と棗を選ぶような言い方に、アリカは聞こえた。やはり、いつもの翠らしくない。


「翠が要と棗を選びたいなら選べばいいわ。私には関係ない。別に幻滅はしないよ。翠が決めることなんだから。


 だけど、よく考えてよ。本当に大切なのは誰? 一緒にいて楽しいのは誰? 貴女が求めるのは誰? 自分が今、おかしいことに気付いて」


 アリカはそれだけ言うと、自分の部屋へと立ち去った。あとに残ったのは、冷たい仮面を貼り付けた、一人の少女のみ―――



 漆黒に輝く列車の中。向かい合う席に、顔の良く似た二人の少年と、少年のような容貌をした一人の少女がいた。


 似通った三人の顔は、仮面でも被っているかのようで。恐ろしいほどに無表情だった。


「・・・」


 夕闇に呑み込まれるような、冷たくも柔らかい西日が、少女――― 凍城翠の、頬を伝う涙に反射していた。


――― 大丈夫? 翠さん」


「・・・・・・この涙は君たちのせいです」


「はっ、」


 色素の薄い髪を掻き揚げて、片方の少年――― 凍城要は嘲るように笑った。一方、もう一人の少年、凍城棗は徹底した無表情で翠を見つめている。


「貴女が選んだんですよ? 僕らは強制していない」


――― わかっているんですよ。僕は」


 翠は流れた涙の筋を拭いもせず、吐き捨てるように言った。


「貴方たちが凍城であるのは確かです。でも貴方たちは本来在り得ないはずですが、魔術師だ。それも、かなり優秀な」


 わかっていた。わかってしまった。翠のこころが揺らいだのも、翠のこころが歪んだのも、それらは彼らの幻術のせいだと。そして、幻術だけではなく――― ほんとうに、少なからず自分が揺らいでいたことも。


「優秀な魔術師は、自分の本来備わっている属性以外の魔術も使える。君たちならば容易かったでしょう、僕程度の人間を惑わし操ることなんて」


「・・・ご名答。本当に簡単だった、まるで自ら惑わされようとしているみたいでね。僕らが幻術をかけずとも、こうなっていたんじゃないかって思うほどに」


 俯いた翠の肩が、ぴくりと震える。棗はそれを見て、眉を顰めた。


「幻術は微弱にしかかけていない。にも関わらず、こんなに簡単に事が進んだ。あんた、本当はこうなることを望んでいたんじゃないか・・・?」


 翠は黙っていた。


 心地よく揺れる列車。徐々に、大切なあの二人から離れて行く。それを感じながら翠は、一人思った。


 ――― 彼らの言ったとおり、僕は望んでいたのかもしれない。世賭とアリカちゃんから離れることを。本当にそうだとしたら、それはきっと、変わりたかったからだ。


(
僕は弱い。世賭にいつも頼って、アリカちゃんにも頼って、そんな自分が、大嫌いなんだ)


 だからこうなることを望んでしまったのではないか。


(
でも、結局また流されているだけだ。自分は何も決断していない。この状況に立っても、僕は未だ迷っている)


 ――― 僕は、弱いままだ。


「もうすぐ着くよ」


 要の声を聞きながら、翠は思いを馳せる。大好きで大切な二人のことに、思いを馳せ続ける。



 「世賭!」


 翠のいない家の中、アリカは声を荒げた。


「どうして止めなかったのよ!」


 世賭はそれに答えず、ソファに寝転がり、腕で顔を覆っている。


「見ていたんでしょう!? 翠が、要と棗と一緒に出て行くのを」


 アリカの言うとおりだった。世賭はただ、黙ってみていた。翠がアリカと話した後、要と棗と共に家から出て行くのを、何も言わずに、何もせずに、見ていた。遠ざかる背中を、ずっと。


「・・・アリカだって、同じじゃないか。お前も翠を止めなかった」


 かすれた声で、世賭は呟いた。


 日はほとんど沈み、寂寞を孕んだ夜が、薄暗い部屋に流れ込む。


――― 私には・・・そんな権利、ないから・・・」


「僕にも無かった」


「違う!!」


 アリカは漆黒の髪が乱れるのも構わず、首を大きく振った。


「世賭、貴方は翠のために自分のために、するべきことがあった・・・翠を止める権利だってあった・・・! あんな微弱な幻術、翠にとって大切な第三者が動けば解けたはずなのに・・・!」


 幻術のことに気付いていたのか、世賭は驚きもせず、黙ったままだった。


「・・・どうして・・・止めなかったのよ・・・」


「・・・・・アリカも薄々気付いているんだろう、あれが全て翠の意思だったってこと」


「全て、ではなかった・・・っ!」


 全てではなかった。その言葉は、明らかに肯定の意を示していた。


「この臆病者・・・っ! 何も言わなかったのは、ただ怖かっただけ、そうなんでしょう! 私と世賭は違う、私には、私みたいな人間には、何も出来ないのに・・・世賭にしか出来なかったのに・・・私に出来ることは、ほんの少ししかない・・・それなのに、私なんかより何倍もいろんなことが出来るのに、どうして・・・! 普段の男らしい世賭なら、翠のことを止めたわ! 世賭は、本当はわかってるんだよ・・・自分は翠を止められたことを・・・!」


 悲痛なアリカの声が、世賭の纏う静寂に突き刺さる。世賭の身体が、微かに震えた。


「ねぇ・・・っ!」


「わかってるよ、そんなことは・・・僕にだって・・・っ」


 世賭の苦しげな声。それはいつしか、嗚咽へと変わっていた。


「わかってるよ・・・くそ・・・」


 何度も何度も、叫ぶ。だけど、名前は、翠の名前だけは一度も呼ばなかった。



「世賭、」


 アリカは気付いた。世賭はもう、翠の名前を呼ばない。翠が“ここ”に戻ってこない限り、もう、名前を呼ばないのだと、気付いてしまった。


「翠を、取り戻しに・・・助け出しに、行こう。私が出来ることは、それだけだから、だから・・・」


「僕は・・・行かない」


 全てわかっているのに、影に縛られたように動けない。否、動かない。がんじがらめになっているのは、世賭でなく翠のほうなのに。


「いい加減にして・・・っ! 世賭は逃げてるだけ・・・翠がそうしたから、なんて理由にならない! 世賭、自分のこころに従って、自分がしたいようにしてよ・・・。全てわかっているなら、翠を大切に想っているなら、影を食い千切ってでも動きなさいよ!」


 それでも世賭は、ソファに身を沈めたまま動かない。


(
世賭は、自ら影に縛られ続けてるんだ)


「世賭が行かないのなら、私一人で翠を助けに行く。私一人で翠を取り戻す。私は世賭と翠を護るって、そう決めたの。世賭と翠が仲間だと言ってくれた日から、私はそう誓ったの。二人を護るためなら、もう一度戦っても構わないって、そう思ったの。だから私は、影を撃って撃って撃ち続けて、走るわ。影にがんじがらめにされて動けない翠を、迎えに行く」


 テーブルに置いてあった銃を掴み、アリカは部屋の扉に手をかけた。


「一つ、言っておくわ。要と棗がどうして翠を連れて行ったのか、ようやくわかった。彼らは“聖”の刺客。翠は私をおびき寄せるための餌――― それを理解した上で、どうするか考えなさい」


 その言葉を聞いて、ぴくりと動いた世賭の姿を見もせずに、アリカは家から出て行った。


 ――― 残ったのは、自ら影に縛られ続ける一人の青年だけだった。




...第五話後編に続く

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第四話



 「――― まさか、こんな奇跡が起こるなんて思っても見ませんでした!」


 少年が、にこにこと笑みを浮かべながら、隣にいる少女を見る。


「ほんとだよね。私も吃驚だよ!」


 少女はそのまた隣の少年に微笑みかける。


「・・・そうだね」


 少年は無表情に呟く。



「アリカさんが逆転勝ちするなんて!」


 三人の手にはトランプ。少女、アリカの最後の手札が床にひらりと落ちた。顔がそっくりな二人の少年は、あっさりと負けを認めたようで、トランプを片付け始める。


「・・・なんで呑気にトランプなんてしてるんだ・・・」


 トランプに参加せず、黙ってソファに座っていた世賭は、半ば困ったような声でそう呟いた。いつも一緒にいる翠は、今はいない。


「良いじゃない。順応するって良いことよ。それに、今はこうしているしかないしね?」


 笑みの裏に、薄っすらと冷たさを含ませた言葉を吐いたアリカは、トランプを箱に仕舞う。


「・・・本当にすみません、こんなことになってしまって」


「構わないよ、(かなめ)君。仕方の無いことだしね」


 少年の一人、要は苦い笑みを浮かべた。



 ――― 血の海と化した塔で双子の少年を発見した後。アリカたちは、二人を家へと運んだ。


「どうして僕に・・・似ているんでしょう」


 双子の少年は、明らかに翠と面影が似ている。しかし、見覚えは無い。


「まあ、この子たちが眼を覚ませばわかることだから、気長に待とうよ。翠、私紅茶飲みたい」


「そうですね・・・。わかりました、今淹れますよ」


 翠が台所へ立った直後。二人の少年が、眼を覚ました。


「ここは・・・?」


「私たちがたまたま貴方たちを見つけて助けたの。ここは私の家よ」


 二人の少年は要と(なつめ)と名乗った


「僕たちはある人を探していて、この都市にいると聞いてここに来たんです。ここの象徴でもある塔でパーティーをやっていると知って、もしかするといるかもしれないと思ったんですが・・・そしたら、あんなことに」


「誰が、あんなことを?」


「・・・わからない。パーティーの最中に、黒服を来た奴等が入って来て、次々に殺して行った。急いで俺たちはテーブルの下に隠れたし、動転していたから顔はあまり覚えていない。血がテーブルクロスに撥ねて、気を失った」


 そして要は、衝撃の事実を口にする。


「あ、そういえばね・・・テーブルの下に隠れた直後に聞こえたんだけど」



―――
「早く皆殺しにするぞ。“(ひじり)”様の命令だからな」



「“聖”・・・!?」


 アリカの表情が、驚愕へと変わった。翠がカップにお湯を注ぐ音が響く。


「そんな、“聖”が・・・」


「・・・アリカ、その“聖”っていうのは」


「・・・後で話す。それより、探していた人って誰なの?」


 世賭の問いを避けるかのように、アリカは要と棗に尋ねた。


「俺たちの従姉で、凍城(とうじょう)家の生き残り―――


 砂糖をかき混ぜる、スプーンとカップの当たる音が急に止まった。


凍城翠さんを、探しているんです(・・・・・・・・・・・・・・・)


「翠・・・だって・・・!?」


 一瞬にして、空気が変わった。アリカと世賭は、思わず台所の方向に振り向く。


 翠は、いつもの笑みが消え失せた、冷たい仮面でも被っているかのような表情で、静かにカップを見つめていた。

 やがて、翠は口を開いた。


「・・・どうして、」


「貴女が、翠さんなんですね」


 ひどく落ち着いた声で、要が確認する。


「どうして、貴方たちがここに」


「僕たちは貴女を迎えに来たんです」


「迎えに・・・!?」


 世賭が狼狽した表情で、翠は身体を強張らせた。


「僕らは唯一の血の繋がりを持つ者同士です。もう、凍城は誰もいない・・・僕らを除いて。血縁関係にあるんですから、一緒にいるべきでしょう?」


「どこで僕の存在を知ったんですか」


「それはお教え出来ません」


 さあ、僕らと一緒に暮らしましょう。要は、淡々と言い放った。


「・・・少し考えさせて下さい」


「勿論です。いくらでも待ちますよ」


 要がにこりと微笑んだ瞬間、翠は足早に部屋を立ち去った。



 ――― それが、ほんの一時間ほど前の話だ。未だに、翠は部屋から戻って来ていない。


「ねえ、凍城家の生き残りってどういうこと?」


「そのままの意味ですよ。僕と棗、そして翠さんは、凍城家で唯一生き残っている人物なんです」


「・・・凍城」


 世賭の微かな呟きを、アリカは気にしつつも話を続けた。


「ということは、もう皆死んじゃってるの?」


「ああ。十二年くらい前、凍城家の当主だった、俺たちの祖父を含めた大人たちが、全員火事で死んでしまったんだ。放火だったって聞いてる。その後、生き残ったけれどばらばらに別れた十人以上の従兄弟たちも、皆何故か死んでしまった」


「ふーん・・・悲惨な話だね。世賭、知ってたの?」


「・・・まあ、少しは」


 眉間に皺を寄せて、世賭は答えた。どうやら、あまり話したくない話らしい。


「でも、驚きだね。ばらばら別れた従姉弟がこんなふうにして逢えるなんて」


「そうですね。この町に来たかいがありました」


 だけど・・・、と要は小さく呟く。


「翠さんは、僕らと一緒になりたくはないんでしょうね」



 翠は一人、一応現在は自室となっている部屋のベッドにうずくまっていた。先程聞いた話がショックで、まともな思考が出来ない。


(
どうして、従弟が)


 翠は狼狽していた。困惑していた。戸惑っていた。何故ならそれは―――


「在り得ない、本来なら在り得ないんだ」


 ――― 従弟が、要と棗が、ここにいるはずがない(・・・・・・・・・)


「だって、従弟たちは残らず全員・・・僕が、」



 ――― 従兄弟たちは一人残らず、この手で殺したのだ。






...第五話に続く

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