第四話
リゼルとリデルの件から数日後。四月ももう終わりに近づいていた。
「お早う、世賭、翠」
「全然お早う、の時間じゃないけどな」
既に昼と呼ぶ時間帯に突入した頃、アリカがようやく起き出し居間へと姿を見せた。彼女の起床時間はいつも三人の中で一番遅く、しかも寝起きは機嫌が悪いのか、起床してから三十分以上経たないと階下に降りてこない。
「今日は、聖パスハ祭だよ!」
「・・・パスハ?」
祭がつくということは、御祭りか何かだろうか。
「なんか昔いた神様が復活したことをお祝いするお祭り。聖オステルン祭とか聖エオストレ祭とか呼び名があるんだけど、一番正しい呼び方は復活祭かな。まあ、そんなことはどうでもいいのよ! とにかく行こうよ、お祭り」
「良いですね、楽しそうですし」
「まあ、暇だから良いか」
世賭と翠が頷きあったのを見て、アリカはにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ早速、服を新調しに行こう!」
*
「なんでわざわざ服を買いに行くんだ? いつもと違う服を着る、というのならあるもので良いだろ」
「そうじゃないんだって! 聖パスハ祭では、服を新調して、帽子とかに花を飾って出かける風習があるの!」
面倒くさげな世賭にそう説明しながら、アリカはさっさと出かける支度をしている。翠も同様だ。
「別に、そんなしきたりにわざわざ従わなくても良いだろ・・・」
「じゃあ、花ぐらいは買おうよ。それぐらい、良いでしょう?」
「買っても良いが、僕は身に付けないぞ」
「・・・まあ、いいよ、それでも。私が帽子につけるから!」
そう言うと、アリカは玄関へ行き、いつも通り紅い靴を履いた。
「楽しみだなぁ、お祭り! 去年は忙しくて行けなかったんだよね」
いつもよりも人通りが多く、賑やかな首都を巡りながら、アリカが呟く。首都全体がお祭り会場だ。
「そうなんですか。じゃあ、良かったですね」
翠は無理矢理笑いを見せた。世賭はそれほど気にしていないようだが、翠はあのリゼルの件が気になっていた。
(アリカちゃんの影が広がって、リゼルを包み込み消してしまった・・・アリカちゃんの周りだけが暗黒に切り取られたようになっていた・・・)
だが、聞くことは出来なかった。アリカは既に、翠にとって大切な仲間だ。アリカが気に病むようなことはしたくない。もしかすると、あれこそが彼女が《暗黒のアリス》と呼ばれる理由かもしれない。そうであるならば、余計聞くことは許されない。彼女は、《暗黒のアリス》などと呼ばれるのを嫌がっているのだ。それに関わる話は、避けたいだろう。
翠がそう思っていたとき、アリカが素っ頓狂な声を上げた。
「ああっ!!」
「あ、アリカちゃん?」
アリカの視線を辿ると、そこには兎や卵をモチーフにした小物や、水仙や百合などの花が置いてある露店があった。
「さいこーっ! 聖パスハ祭の良いところは露店が沢山あるところだよねっ!」
そう言うが早いか、アリカは露店に向かって走っていった。
「うーん・・・女の子ですね」
翠は穏やかな微笑を浮かべてアリカの後姿を見つめている。
「お前もだろ」
「そんなこと言ったら世賭、キミだっ――― 」
「世賭、翠、これ貴方たちにプレゼントしてあげるー!」
アリカは翠の言葉を遮り、購入したらしい兎や卵がモチーフの小物を手渡した。
「有難う御座います、アリカちゃん」
「有難う」
「よっし、じゃあどんどん行くよ! お菓子とかも一杯売ってるんだから!」
アリカは満面の笑みで、歩き出した。
*
「リゼルとリデルの死亡確認は出来たのか?」
「リデルは確認出来たよ。アリスのアジトの庭に埋められていた。ただ、リゼルの遺体は発見出来なかったけど」
「そうか、ならもういい。きっとアリスが喰ったんだろう」
「喰った、ねえ・・・」
「アリスと共に居る二人の詳細、調べたのでしょう? 言わなくて良いんですか?」
「あ、そうだった。一人はあの凍城の生き残り、凍城翠。その凍城翠の幼馴染の世賭。世賭のほうは《鬼刀の世賭》とか呼ばれているらしいんだけど、詳しいことはさっぱりわからなかった。まるで誰かが世賭の情報を漏らさないようにしているみたいでね、全然情報が掴めなかったよ」
「誰かが・・・。まあ、それだけわかれば十分だ。アリスも良い人材を手に入れたな。凍城の生き残りに《鬼刀の世賭》を手駒にするとは」
「手駒、ねえ。随分と仲良しになってるみたいだけど?」
「それも彼女の策なのでは? 彼女はもう、自分の手で戦う意思はないのですから、自分に味方する強い者を手に入れておく必要がありますし」
「戦う意思はない、か。私たちと戦うこととなったとき、果たしてそんなことを言うのかどうか・・・楽しみだな」
「・・・?」
「気にするな。そうだ、アリスのところに“蜜鏡”たちを派遣しろ。どういうメッセージか、アリスならわかる筈だ。凍城にも、な・・・」
「わかりました。“蜜鏡”、ですね。すぐにでも向かわせます・・・言葉のとおり、すぐに」
――― 暗黒の中で、誰かが嗤った。
*
首都の象徴であり、政府の拠地。そして、《絶対権力者》である皇帝が居ると噂されている、首都の中心に聳え立つ塔・・・別名、《絶対帝國》。
その塔に向かうようにして、アリカたち三人は歩いていた。
「いつもは一般ピープルが入れない《絶対帝國》だけど、今日だけは特別。塔の一階で仮面舞踏会が開かれているの。私は行ったことないけど、誰でも自由参加出来るパーティーらしいんだ。参加してみる?」
「僕はどっちでも良いですけど・・・どうします?」
「・・・面倒だから、僕はいい」
言葉のとおり、世賭は明らかに面倒くさそうな顔をしていた。翠は思わず苦笑する。
「そっか、じゃあ別にいいか。まあ、どちらにせよここらを一周するには塔の前を通らなくちゃいけないから、少し覗く程度にしておこう。皆着飾っちゃって、眼の保養になるよ!」
「どこのオヤジですかアリカちゃん」
アリカはにこにこと軽やかに歩きながら、徐々に塔へと近付いて行く。華やかな音楽が、微かに聞こえてきた。
「あれ?」
「どうした?」
アリカがふと足を止めた。世賭が尋ねるのに対し、無言で正面を指差す。
アリカが指差した先には、塔から走り去ろうとしている少女の姿があった。数秒の間もなく、後ろから追うように、劈くような悲鳴が聞こえた。そして――― 微かに聞こえた、ぴちゃり、という音。
「アリカちゃん、今の・・・!」
「行こう」
アリカは一気に駆け出した。世賭と翠も、その後を追う。
「・・・ッ!」
――― 塔の中。舞踏会場であるはずだったそこは、血の海と化していた。
「こんな・・・酷い」
アリカは冷静に辺りを見回すと、ゆっくりと死体を踏まないように足を進めた。そして、中央に置かれた大きいテーブルを覗き込んだ。
「・・・やっぱりね、気配がした」
「・・・アリカ?」
訝しげに聞く世賭に向かって、アリカは薄く微笑んだ。
「生きてる、人がいる」
アリカが覗いたテーブルの下。重なり合うようにして、二人の少年が倒れていた。ゆっくりと胸が上下しているのを見ると、どうやら気絶をしているらしい。
「とりあえず、家に運ぼう。怪我、してるかもしれないし・・・状況を聞けるかも」
「そうですね」
翠は少年をテーブルの下から出すと、静かに抱き上げた。
(・・・あれ?)
少年の顔を見て、翠は僅かな違和感を覚えた。同じく少年を抱き上げた世賭を横目で見やると、世賭も訝しげな表情で、まじまじと少年の顔を見つめている。
「――― どうしたの? 二人とも」
世賭と翠の様子がおかしいことに気付いたのか、アリカが二人の傍に寄る。そして、少しだけ眼を丸くした。
「この二人・・・」
二人の少年の顔は、瓜二つだった。だが、違和感を覚えたのはそこではない。
「なんだか、翠に似てない?」
二人の少年は、翠に面影の似た穏やかな表情をしていた。
...第四話後編に続く
第三話
「くっ・・・」
水の剣で翠は家の壁に叩きつけられた。リデルはくすくすと翠を嘲り笑い、水の剣を鞭のようにうねらせ、構える。
「大口叩いていたわりには弱いわねぇ・・・」
「お喋りは禁物ですよ」
「!」
いつの間にか、翠の剣がリデルの腕に突き刺さっていた。眼にも留まらぬ速さ、痛みを一瞬でも感じさせない攻撃。
「貴女・・・」
「こんな攻撃にも気付かないだなんて、大したこと無いんですね・・・致命傷にもならないような攻撃だというのに」
「・・・その減らず口、黙らせてあげる・・・!」
「舐められたものですね、僕も」
翠は勢い良く、リデルの腕から剣を抜き取った。
「ぐぁ・・・っ!」
「気味の悪い不気味な魔物でも、痛みを感じるんですね・・・意外です」
「っ・・・その言葉、聞き捨てなら無いわね・・・!」
リデルは一瞬のうちに間合いを取り、水の剣を翠に向かって叩き付けた。翠は即座に腰を屈め、思いっきり地を蹴り木に飛び移った。
「なぁに・・・かくれんぼでもするつもりぃ?」
「何を莫迦なことを。お遊戯なんて僕はやりませんよ」
そのとき、リデルは気付いた。今の言葉、今の声。翠が飛び移った筈の木からはしなかった。もっと近く、もっと自分と近距離から・・・別の場所から、声がした。
「どういうこと・・・」
「こういうことですよ」
真後ろ。確かに、翠の声が、真後ろから。
「!?」
不敵な笑みを浮かべた翠が、リデルの真後ろで剣を構えていた。
「さようなら、気味の悪い魔物さん」
――― 地に紅い華が飛び散った。
*
「リデル!?」
紅い血を吹き出し倒れたリデルを見て、リゼルは悲鳴に近い声を上げた。
「余所見をするな、魔物。敵に背を見せるとは、何事だ」
世賭の冷たい声を浴びて、リゼルはきっ、と世賭を睨み付けた。
「睨む相手を間違っている。お前が睨むべき相手は翠だろう?」
「ちょっと世賭、酷いこと言わないでくれる?」
「事実を言ったまでだ」
水色の髪が逆立ち、烈しい怒りのオーラを放ち出したリゼルを見て、翠は口を閉ざした。
「貴様ら・・・絶対、許さない・・・!!」
「へえ。まさかこんな不利な状態でそんなことを言うとは思わなかった。なあ、アリカ?」
――― アリカ? まさか、そんな。
「な、なん・・・で・・・気配も、何も・・・!」
リゼルの後ろに、アリカがにっこりと微笑んで立っていた。
「そうね。3対1っていう不利な状況なのにね」
「いつの間に・・・っ!?」
リゼルは青褪めた顔で呟く。全く、気配に気付かなかった。いつの間に家の中から自分の真後ろに移動したのだろう。信じられない。
「最初から言っていますけど・・・もうおわかりになったでしょう? 貴女に勝ち目はありません」
「私たちに勝てるだなんて思わないほうが良いよぉ?」
翠が冷たい声で言い放つのに対し、アリカはふざけているようだった。そんな様子も、リゼルにとっては畏怖する対象でしかならない。
「もう殺してしまっても良いんじゃないか? 死にたがっているようだし」
「し、死にたがってなんか・・・」
「馬鹿だな。僕らを相手にしたときから、もう既にお前の死は決まっていた。だがお前らは逃げなかった自殺を試みていたようなものだ」
リゼルは身体をがくがくと震わせ、血の気の無い唇がかすかに動かせた。
「た、たすけ・・・」
「誰が助けるのかなぁ? 貴女の片割れはもう殺されちゃったし、貴女が仕えている“聖”たちは、仕えないものは捨てちゃうし。貴女を助ける人なんてもういないよ? もしこのまま貴女が殺されないで帰ったとしても、“聖”たちに殺されちゃうだろうし」
――― “聖”。
世賭はその名に、何か引っかかるものを感じた。何だろう、どこかで聞いたことがあるような。だが、思い出せない。
「主様、は・・・そ、そんなことしな・・・い・・・」
「するよ。“聖”たちはそういう奴等だもん」
リゼルの震えは徐々に増していた。痛々しいほどに顔を青褪め、肌には血の気が無い。そんなリゼルを嘲るような目つきで見ていたアリカが、刹那、暗黒を醸し出す恐ろしい表情へと豹変した。
「お前はあたしに殺される」
空に浮かぶ灰色の雲を吹き飛ばすかのような風が吹き、世賭と翠の髪を攫った。だが、アリカの髪だけは一切揺れ動いていない。まるで、アリカだけが世界から切り離されたかのように。
世賭と翠は、豹変したアリカの表情を見て、静かに唾を呑み込んだ。
「お前はもう、あたしの餌だ」
「ひィ・・・っ・・・」
アリカの瞳は、いつにもまして深みを帯びていた。この世の影を全て吸い取るような、深紅。
「さあ、あたしに身体を委ねろ」
世界から切り離されたかのような暗黒の空間。アリカの影が大きく揺らめき、広がり、リゼルを覆った。
「いや、ああああああッ!!!」
影はリゼルを覆いつくし、絶叫までも包み込んだ。
世賭と翠は、ただそれを見つめるばかりで動くことが出来ない。
「くくっ・・・ご馳走様」
アリカの影が消え去った後。そこにリゼルの姿は、無かった。
*
その後。アリカの表情に、あの暗黒はすっかり無くなっていた。
世賭と翠は、あのときのことについて何も聞かなかった。否、聞けなかった・・・というほうが当たっているかもしれない。
「アリカ・・・」
「なあに?」
「いや、なんでもない」
世賭が引っ掛かりを感じた“聖”についてもまた、聞くことは出来なかった。
――― でも、聞かなくても、いずれはわかるだろう。
その“聖”とやらが、アリカを狙う敵に違いないのだから。いずれ、そのときが来たら――― 知ることになるだろう、と。そう思ったのだ。
「ははっ・・・」
アリカは一人で、家の外に出た。灰色の雲は消え去り、見事に青空が広がっている。
「“聖”たち、リゼルとリデルのこと、一応調べているんだろうな。実力はまあまあだったから、惜しい人材だっただろうし」
だが、所詮雑魚は雑魚だ。
「もう、次の策を練ってるかも」
アリカはある地点で足を止めた。そしてゆっくりとしゃがみ込むと、地面を柔らかく撫でた。他よりも、少しだけ盛り上がっている地面を。
「“聖”たちなんかに縛られないで、ゆっくりお休み」
アリカは小さな笑みを浮かべると、もう一度優しく地面を撫でて、家の中へと入った。
...第四話に続く
第二話
「立派な家ですね・・・」
「ここに一人で暮らしているのか?」
首都の外れに位置するとある一区に、一軒の家がある。その家の前に、アリカ、世賭、翠はいた。
「そうよ。別に普通だと思うけど?」
アリカは平然とした顔で鍵を取り出し、玄関の戸を開ける。
あの後、世賭と翠は流されるようにアリカの家へ住むこととなった。確かに宿を探していたのは事実であり、有難いことではあった。
「部屋は足りるのか?」
「勿論よ。沢山あるから大丈夫」
にっこりと微笑み、アリカは家の中へと入った。
「どうぞ」
「え、っと、お邪魔します」
家の中は若干、気にならない程度に薄暗かった。アリカは電気をつけず、さっさと居間へ移動する。
「少し薄暗いですね・・・」
「ああ、私あんまり光が好きじゃないから。日当たりが悪いようになってるの、この部屋。私、夜行性みたいな感じだし」
「夜行性・・・」
まだ十代半ばであろう少女が、夜行性。翠は少し眉を顰めた。
「別におかしくはないだろう。《暗黒のアリス》、なんて異名を持つぐらいだし・・・――― 」
そのとき、アリカが纏う雰囲気が一転した。
「あたしを《暗黒のアリス》と呼ぶのはやめろ」
恐ろしい形相で、世賭を睨みつけているアリカを見て、翠は思わず息を呑んだ。薄暗い家の中で、今のアリカは一際暗く見えた。
「二つ名で、異名であたしを呼ぶな」
「・・・へぇ」
アリカの雰囲気が攻撃的なものへと変化しているのにも関わらず、世賭はいつも通りのポーカーフェイスでアリカを見つめている。その表情に恐怖や怯えと言ったものはなく、翠は慌てた。
「や、やめよう世賭。アリカちゃんが嫌がっているんだから」
その言葉を聞き、アリカから発せられる暗黒が消え失せた。
「大丈夫、ですか?」
アリカが俯きしゃがみ込んだのを見て、翠は優しく肩に触れた。だが、アリカはその手から逃げるように、身体をよじった。
「アリカちゃん・・・」
「ごめんなさい。私、二つ名で呼ばれるのが好きじゃないの。世間から外されて、一人になってしまったような気がするから。私だけが世界から除け者にされているみたいで、私だけが人間じゃないみたいで。私は一人になりたくないの、だから異名で私を呼ばないで」
大量の二つ名。最強の称号。それはきっと、アリカには重過ぎるのだろう。
「――― だったら、もう一人ではありませんね」
「え・・・?」
ゆっくりと顔を上げると、翠が温かい笑顔でアリカを見ていた。
「僕たちが居ますから」
「翠の言うとおりだ。それと、家に泊めさせて貰っている以上、して欲しいことは出来る限り答えるように努めるつもりだからな」
世賭もいつになく優しい声で、そう言った。
「っ・・・あり、がとう」
アリカはにっこりと微笑んだ。
*
世賭と翠が、アリカの家に泊まることとなってから早一週間。三人は暇を持て余していた。
「暇過ぎ! 誰か死んでも良い奴来ないかな。そしたら生き埋めして、空気穴を開けておいて、そこから水を入れて溺死させて――― 」
「いい加減にしてくれ。もっと上手い残酷な殺し方を想像しろ」
「世賭もいい加減にしてくれないかな」
翠は読んでいた本から顔を上げ、だらしなくソファに寝そべっている世賭とアリカを見やった。その表情は明らかに呆れ以外の何物でもない。
「その手の話はもう十分です。腹黒い話は止めて下さい」
それを聞き、世賭は不服そうな表情で翠を見た。ソファに寝そべっていたせいで、ぼさぼさになった髪を適当に撫で付けている。
「お前だって十分腹黒いくせに、何を言う」
「僕のどこが腹黒いのかな?」
「自覚することって大切だよ、翠さん」
先程の翠と同じ呆れ顔でアリカは言った。一向にだらけた様子から立ち直る気配は無い。
「あ、呼び捨てで良いですよ、アリカちゃん」
「それはいいけど・・・翠だって敬語じゃない」
「これは癖みたいなものです。まあ、世賭には敬語じゃありませんけど・・・。ね、世賭」
「何が『ね』、だ。可愛い子ぶるな、この腹黒僕っ子が」
世賭は眉を顰め、ぐったりとまたソファになだれかかる。小さくため息をつき、そしてふ、と窓の外を見た。
「・・・ん・・・?」
「? どうしたんですか、世賭?」
「いや・・・何でもない」
ただならぬ戦機が、訪れようとしていた。
*
「ふふ、見ぃつけたぁ・・・」
「主様のご命令・・・」
「楽しませてくれるかしらぁ」
「ふふふ、それじゃあ・・・」
「行きましょうか」
妖しい二つの人影が、動いた。
*
世賭が不意に立ち上がり、壁に立てかけていた刀を手にした。
「――― 来た」
乱れていた髪を解き結びなおすと、世賭は勢い良く扉を開けて家から出て行った。その様子を見て、翠は珍しく無表情に呟く。
「面倒なことが起きそうですね」
「もう、起きてるわよ」
ここは、世賭に任せてみましょうか。そう、翠は言った。
「え・・・良いの?」
「大丈夫ですよ。世賭ならね」
一方、世賭は眼を鋭く光らせて、虚空を睨みつけていた。
「誰だ」
「あらぁ」
「バレたみたぁい」
「甘ちゃんかと思ったのにぃ」
ばしゅっ、と鋭い水の音がして、世賭の頬にかすかな痛みが襲った。
「水・・・?」
ゆっくりと頬に手をやると、指に深紅の血が付着した。どうやら、水で切られたらしい。
「へぇ」
「驚かないのねぇ・・・」
「まあ、良いわ」
先程と同じく、またばしゅっという水の音。
「同じ手に二度も引っかかったりはしない」
世賭はほんの数ミリ、身体を捻らせた。水は勢いを失くし、地面に滴となって落ちる。
刹那、世賭は眼にも留まらぬ速さで抜刀し、何かを斬り落とした。
「っ・・・!?」
声がした方向に木があった。その木の枝が、すぱっと見事に斬れている。ぱらり、と何か水色の物体が、木から落ちた。
水色の長い髪。髪が落ちたと同時に、小さな舌打ちが聞こえた。
「そこに二人隠れているのはわかっている」
「――― なかなか楽しませてくれそうねぇ・・・」
「やっぱり主様は最高だわぁ・・・」
「主様?」
世賭の呟きを無視し、二人の女が木から飛び降りた。短髪の女と長髪の女。二人とも、瓜二つだった。
「双子か」
瓜二つの女は、妖しげににこりと微笑んだ。
「私はリデル。そしてこっちはリゼル」
短髪の女がそう言った。二人とも、同じ形の透き通った鞭を手にしていた。
「世賭・・・援助が必要かな?」
「・・・したいのなら」
いつの間にか翠が世賭の後ろに立っていた。ちらりと家の窓を見やると、アリカが不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。
――― 傍観者のつもりか。
それでも構わない、と世賭は思った。一人でも楽勝だが、翠と二人なのだ・・・勝算はこっちにある。
「これで2対2になったわねぇ・・・」
「これで、平等だわぁ」
「私たちが勝ったら・・・主様のご要望・・・」
「アリカって女の子を引き渡して貰うわよぉ」
「・・・上等だ」
リデルと名乗った短髪の女は、世賭には眼もくれず翠に向かって走り、鞭を構えた。水色の短い髪が揺れ、翠に顔を寄せる。
「私は貴女のお相手をするわぁ」
一方、残ったリゼルは世賭に向かって、水色の長い髪を投げた。
「何だ」
「さっき貴方に斬られた髪よぉ・・・? 大切にして頂戴」
「誰がこんな塵を」
それ聞いて、リゼルはうふふと楽しそうに笑った。世賭は軽蔑の眼でリゼルを見やっている。
「貴方、知ってるわぁ・・・《鬼刀の世賭》なんて呼ばれてるんでしょう・・・?」
「・・・」
「知ってるぅ・・・? 私たちは《水星の魔女》って呼ばれているのよ・・・」
「水が星のように煌き飛んで・・・」
「その身を突き刺すの・・・」
「さっき鞭って言ったけど・・・」
「これは剣なのよ・・・」
「水の剣・・・それを星のように使って殺す魔女・・・」
「それが私たちなのよ・・・」
離れたところに居ても、阿吽の呼吸で言葉を続け、不気味に微笑むリデルとリゼル。世賭は眉をしかめた。
「私たちはハーフなのお・・・」
「人間と・・・」
「魔物の・・・」
翠の表情が、薄ら笑いに変わった。
「そうでしたか。道理でやけに不気味な方たちだと思いましたよ・・・」
「何ですって・・・?」
いきなり表情を豹変させ、翠を睨みつける双子。翠は平然と笑みを浮かべている。
「何度でも言ってあげますよ。その不気味な顔を太陽の下に晒さないで貰いたいですね。吐き気がします」
「だったら・・・」
「殺してあげましょうか?」
「そうしたら・・・」
「私たちを見ることも」
「出来なくなるでしょう・・・?」
世賭は静かな声で呟いた。
「殺し合いのパーティーでも始めるか」
...第三話に続く
第一話
裏社会に君臨する、《絶対権力者》と謳われる皇帝というものが存在する。その皇帝が居ると噂される、政府の拠地の塔。
その塔がある首都の市場で、一人の少女が走っていた。
少女はわき目も振らず、ただひたすらに走り続けていた。黒髪は乱れ、眼にも鮮やかな紅いシルクハットは地面に転げ落ちる。その少女の後ろから、黒い人影が迫っていた。
「はぁ、はぁ・・・」
走っても走っても、追いかけて来る黒い影。少女はシルクハットと同色のエプロンドレスを翻し、延々と走り続けていた。
「くっ・・・」
もう駄目だ。少女の腕を、黒い人影が掴む。と、そのときだった。
「――― 走って!」
黒い人影ではない、誰かの腕が、少女の左手を掴み細い路地へと引っ張った。咄嗟のことに、少女はされるがままに路地に転がり込んだ。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
少女の腕を掴んだ者は、一瞬少年にも見紛う貌に、柔らかい微笑を浮かべていた。そしていつの間に拾ったのか、落としたシルクハットを少女の頭に優しく被せた。
「僕は翠と言います。怪しい人間ではないので、安心して下さい。どこか怪我はありませんか?」
「大丈夫・・・有難う。あの、黒い奴等は・・・?」
「もう、大丈夫だと思いますよ。見て御覧」
恐る恐る、少女が路地から顔を出すと、一人の青年が刀を手に立っていた。その周りに、少女を追いかけていた奴等が倒れ臥している。
青年は静かに刀を鞘に納めると、顔をこちらに向けた。蒼と紅の瞳が鋭く光る。
「弱かったな」
冷たい表情を浮かべて、青年がこちらに向かってきた。どうやら、翠と名乗った少女の仲間らしい。
「いつも通り、お見事」
翠が青年に、にこりと微笑みかける。先程からその笑みは、全く崩れていなかった。
「何があったのかは知りませんが、無事で何よりです」
「あ、うん・・・本当に、有難う。助かった」
「それは良かった」
翠が笑みを崩さないのに対し、青年は眼を細めて少女を見ている。その表情からは先程の冷たさは消え失せ、単なる好奇心のようであった。
「・・・紅いシルクハットに紅いエプロンドレス・・・紅い少女・・・深紅の魔女・・・?」
「世賭?」
どうやらこの青年は世賭と言うらしい。
世賭はやがて、思い出したかのように口を開いた。
「お前、《暗黒のアリス》じゃないか?」
「・・・え?」
そうだ、と世賭は頷く。少女の表情に翳りが見え出したことには気付かず、彼は話を続ける。
「僕も詳しくは知らない。紅いシルクハットに紅いエプロンドレスを身に纏う、最強の少女。二つ名が大量にあって、《暗黒のアリス》に留まらず《下剋上のアリス》や《千年魔術師》、《最強君主》、《深紅の魔女》、《暗黒の女王》、《血染めのアリス》と様々。とにかく最強だって噂だ」
そんな少女が何故、ここに。しかも何故奴等に追われていたのか。
「何故、戦わなかった? 最強と謳われる存在のお前が」
少女は深紅の瞳を妖しく光らせ、自嘲するかのような笑みを浮かべた。
「――― 時は2765年。表社会という平和な世界とは真逆に存在する、何もかも“在り得る”世界である裏社会。その裏社会に君臨する《絶対権力者》の皇帝。その皇帝の座を狙う裏社会の者たち。刀や剣をぶら下げている貴方たちは、裏社会の者ね。それならば知っているはず。今、裏社会の風潮が何と呼ばれているか」
現在の裏社会の風潮――― 《第二の下剋上》。下位の者が上位の者の地位や権力をおかす風潮。
「私は強い。だけど皇帝の座なんていらないの。そんな人間は、今の裏社会では邪魔だってことぐらい、わかるでしょ? だから私は戦わない。そう、決めているの」
「――― 邪魔な存在は邪魔者として引っ込んでいよう、とは見上げた精神だ」
世賭が小さくふっ、と笑い、少女を見据えた。翠もまた笑顔を一切崩さない。
「分別ある人間なんですね、お嬢さん。感心しました」
「え・・・えっと・・・?」
「お名前、何と言うのですか?」
少女は困惑しつつも、アリカ、と名乗った。
「アリカちゃん、ですか。では、家まで送りますね。方角はどちらでしょう?」
「え、あの・・・今の話聞いて、何も思わないの・・・? 恐がったりとか、莫迦にしたりとか・・・それに、家まで送るなんて危ないよ?」
途端に世賭と翠は同時にくっ、と喉を鳴らし吹き出した。困惑するアリカを余所に、翠は柔らかい笑みを浮かべてアリカの頭に手を載せる。世賭は薄い笑みを浮かべて、とん、と路地の壁に背中を預けた。
「何も思わない。お前が言っただろう、裏社会というのは何でも“在り得る”世界だ。何を今更、だ」
「危ないのも承知ですよ。今の裏社会は強い奴を見つけたら潰す。それに加えて、貴女は狙われている。その狙っている者に僕らは眼をつけられたでしょうね。でもそんなこと僕らには関係ないんです」
「つまりは――― 」
――― そんなものも全て、どうでもいいってことだ。
「っ、くく・・・」
「?」
アリカは紅いシルクハットを目元まで下げ、身体を震わせた。
「あははははッ!」
「あ、アリカちゃん?」
「あははッ、気に入ったぁ・・・気に入ったよ!」
空気が一瞬にして変わり、アリカはシルクハットを元の位置に戻し、ぎゅっ、と世賭と翠の手を握り締めた。その様子の変わりように、世賭と翠は呆気に取られてアリカを見つめる。
「そうだ、貴方たち旅人なんだよね? ということは、宿が必要ってことだ!」
「え、ああ・・・まあ」
――――――― 「ねえ、私のうちに来ない?」
――― 瞬間、世界は真逆の方向へと動き出した。
...第二話に続く
アリカ ♀ 年齢不詳(見た目14歳程度)
性格:勝気で明るく、天真爛漫。だがかなり腹黒く毒舌。冷めた面もあるが、仲間思い。
容姿:漆黒長髪に深紅の瞳。色白。身長152cm、体重41kg。紅いシルクハットに紅いエプロンドレス。
詳細:最も謎が多い。戦闘能力は神級以上。武器は銃や剣。魔術も使える。誕生日は2月14日。
世賭/Seto ♂ 17歳(数え年で18歳)
性格:冷静かつ真面目で好戦的だが、少々短気かつ天然な面もある。非常に仲間思い。
容姿:藍色の長髪でポニテ。右・蒼、左・紅のオッドアイ。中性的な顔立ち。身長177cm、体重57kg。
詳細:翠とは10年来の仲の幼馴染。戦闘能力は高く、武器は日本刀。誕生日は12月27日。
凍城 翠/Sui Touzyou ♀ 17歳(数え年で18歳)
性格:優しく穏やかで温厚、丁寧かつ聡明だが芯は強い。少々腹黒い面もある。一人称は僕で常に敬語。
容姿:焦げ茶の短髪。眼は蒼。中性的な顔立ちでよく少年に間違えられる。身長166cm、体重48kg。
詳細:頭脳明晰。戦闘能力は世賭よりも低いが、かなり強い。武器は剣。誕生日は9月26日。
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
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Sex:女
Birth:H7,3,22
Job:学生
Love:小説、漫画、和服、鎖骨、手、僕っ子、日本刀、銃、戦闘、シリアス、友情
Hate:理不尽、非常識、偏見